ここは、まだ形になる前の光がそっと休んでいる場所です。
輪郭になる前の気配や、ゆらぎの中にある言葉を、そのまま記録しています。
A quiet record of the light before it takes shape.
Traces of what is still forming, held just as it is.
2026.2.2(月)
きょうは、先日の
WELL-BEING TECHNOLOGY 2026 に出展されていた方から、
メールでとてもうれしいご報告が届きました。
誰かのうれしい知らせを聞くと、
それだけで、こちらまで気持ちがあたたかくなります。
こういうプロダクトを使って、
「しあわせになった」
「生活が少しよくなった」
そんな声が届くとしたら、
きっと自分のことのように、うれしくなるんだろうなと思いました。
ネットで調べることはいくらでもできるけれど、
やっぱり、直接お話しする時間は、まったく違います。
声の調子や、間のとり方や、言葉にしきれない思いまで、
ちゃんと伝わってくる気がして。
今は、ライフスタイルを少し見直して、
パソコンに向かうばかりだった毎日から、
生活そのものから学び直しているところです。
どこか、リハビリみたいでもありながら、
その中で見つかる発見も、思っていたよりたくさんあります。
そんな日々を続けながら、
少しずつ、集中する時間を取り戻して、
『量子の庭』の第二弾にも、取り組んでいけたらいいなと思っています。
🌱 ウエルのひとこと
うれしさって、
だれかと行き来すると、
静かに大きくなるんだよ。
(量子の庭|制作日誌 #92)
2026.2.1(日)
きょうは、朝から一日、静かに集中していました。
記事を直したり、単純作業をしたり。
ウェルビーイング応援サイトにアップした
『測る技術と、測らないやさしさ ─ WELL-BEING TECHNOLOGY 2026 レポート』、
もう読んでいただけたでしょうか。
少しずつ、この世界のことがわかってきて、
少しずつ、人とつながれている感じがして。
今は、それだけでとても良い時間を過ごせています。
出会う人たちは本当にすごくて、
比べたら足りないものだらけだけれど、
比べること自体を、あまりしなくなりました。
それぞれに、それぞれの大変さがあって。
今の自分には、今の自分のペースがある。
そう思えること自体が、
もしかしたら「ウェルビーイング」なのかもしれません。
少しずつ、前よりもいい状態に近づいている感じがして、
このまま、無理をせずに進んでいけたらいいな、と思います。
🌱 ウエルのひとこと
比べなくなったとき、
ちゃんと自分の足で立っていることに気づくんだよ。
(量子の庭|制作日誌 #91)
2026.1.31(土)
今日は、久しぶりに
ウェルビーイング応援サイトの記事を更新しました。
展示を見て、感じたことを、
少しずつ言葉にしていく作業でした。
書きながら、
「測ること」と「測らないこと」
そのあいだにあるものが、やっぱり大切だなあと。
ちょうど、制作日誌を書き始めて90日目。
何かが大きく変わったわけじゃないけれど、
ものを見る距離は、少しだけ変わった気がします。
よかったら、時間のあるときに
そっとのぞいてみてください。
今日はここまで。
おやすみなさい 🌙
(量子の庭|制作日誌 #90)
2026.1.30(金)
🌱
きょうも、いつもの時間に目が覚めました。
ぼんやりしながら始めた朝の30分ルーティンが、
気づけばそのまま4時間半ほど続いていて。
単純作業なのに、不思議と頭は静かで、
手だけが自然に動いていました。
午後は、『歴史から学ぶウェルビーイング』の
新しい研究ノートの構想を考えたり、
一昨日のビッグサイトのレポート用の資料をまとめたり。
夜になってから、少しずつ調子が出てきて、
いまは、いい波の中にいる感じです。
ビッグサイトでの一日を思い出すたびに、
「おもしろかったな」
「あの人、いい人だったな」
「あのプロジェクト、うまくいくといいな」
そんなことを、自然に考えていました。
誰かのことを思い出しながら過ごす時間って、
それだけで、少し元気になるものですね。
気づけば、疲れもすっと抜けていました。
明日からも、このやさしい流れに乗っていけたらいいな。
できれば明日あたり、
ビッグサイトのレポートも公開できたらと思っています。
見たかったブースは、また来年か、
いつか別の場所で出会えたらそれでいい。
今日は、そんなふうに思える一日でした。
🌱 ウエルのひとこと
いい波は、無理に追いかけなくてもいいんだよ。
気づいたら、ちゃんとそばに来てるから。
(量子の庭|制作日誌 #89)
2026.1.29(木)
きょうは、きのう足を運んだ
WELL-BEING TECHNOLOGY 2026 のレポートをまとめていました。
写真を撮らせてもらったブースは、
あとから見返す手がかりがあって書きやすいけれど、
写真を撮らなかったところも、
実はとても印象に残るお話をしていただいていて。
うまく言葉にできるかな、と少し考え込みながら、
それでも、そういう時間も悪くないなと思いました。
写真がない分、言葉を選ぶ。
それはそれで、好きな作業です。
でも次は、忘れずに一枚くらい撮らせてもらおうかな、とも思います。
お話しさせていただいた方々をあとから調べてみると、
驚くほど素晴らしい経歴の方や、
本当にすごいことをされてきた方ばかりで。
そんなことを知らないまま、
ごく自然に、対等にお話ししてくださったことが、
なんだかとてもありがたく感じました。
スピードも大切だけれど、
今日は少しだけ寝かせて、
明日以降に、ウェルビーイング応援サイトのほうで
ゆっくりレポートにまとめようと思います。
少しだけ、おたのしみに。
🌱 ウエルのひとこと
言葉になる前の時間も、
ちゃんと大切な一部なんだよ。
(量子の庭|制作日誌 #88)
2026.1.28(水)
WELL-BEING TECHNOLOGY 2026
きょうは、ビッグサイトへ行ってきました。
正直に言うと、かなり疲れました。
お昼前に到着して、
お昼ごはんを食べながら会場マップを眺めて、
気になるブースをいくつかチェックして。
セミナーは2つ。
「グローバルWell-being共創社会の実現」と、
「AI×ウェルビーイング 〜スタートアップが語る社会課題解決へのアプローチ」。
すごい機械や、すごいテクノロジーを横目に見ながら、
気づけば、ずっと人の話を聞いていました。
途中で少し疲れを感じて、
「もう帰ろうかな」と思った瞬間もあったけれど、
結局、最後の音楽が流れる17時まで、会場にいました。
セミナー自体もとてもよかったのですが、
それ以上に心に残ったのは、ブースに立っていた方々の姿でした。
それぞれが、自分の取り組みを大切に語っていて。
10人ほどの方とお話しする中で、
日本文化への思いや、ものづくりへの誠実さに、何度も触れました。
精神的な支えになるもの。
データを通して、自分や組織の状態に気づく仕組み。
どれも派手ではないけれど、静かに大切なものばかりでした。
帰り際に、チーフアンバサダーの前野隆司さんの姿を見かけて。
声はかけなかったけれど、
「今日ここに来てよかったな」
「お会いできただけで、なんだかうれしいな」
そんな気持ちになりました。
人って、ただそこにいるだけで、
まわりを少し元気にすることがあるんですね。
それが、いわゆる“オーラ”というものなのかもしれません。
たくさんの技術を見た一日だったけれど、
いちばん心に残ったのは、やっぱり「人」でした。
今日のことは、明日あらためて
ウェルビーイング応援サイトのほうにまとめようと思います。
……とはいえ、気づけば予定していた半分くらいしか回れていなくて。
もし余力があれば、最終日にもう一度だけ、
そっとのぞきに行くかもしれません。
行けなかったら、それはそれで。
今日は、ちゃんと動いた一日だったということで。
🌱 ウエルのひとこと
たくさん見なくてもいいんだよ。
心に残ったものが、もう答えだから。
(量子の庭|制作日誌 #87)
2026.1.27(火)
きょうも、朝からつい没頭してしまいました。
本当は、朝の単純作業は30分くらいで終えるつもりだったのに、
気づけば今日も、3時間ほど集中していて。
どうやら今は、
単純な作業をくり返す時間が、
とても頭を落ち着かせてくれるみたいです。
あとから知ったけれど、
こういう作業は脳にとって「休息」や「活性化」にもなるらしくて。
いわば、静かな脳トレみたいなものなのかもしれません。
予定どおりには進まなかったけれど、
その代わり、いつもと少し違うリズムで一日を過ごして、
小さな達成感もありました。
それでも、以前と比べると、
全体的にものごとへの集中力は、少しずつ上がってきている気がします。
今は、
新しいルーティンをつくることや、
考えすぎずに手を動かす時間が、ちょうど必要なのかもしれません。
庭の記事も、だんだん調子が出てきました。
次は、朝の集中タイムをもう少し上手に使えたらいいな、と思います。
明日は WELL-BEING TECHNOLOGY 2026 をのぞきに行く予定なので、
きょうはこのあたりで、早めに休むことにします。
🌱 ウエルのひとこと
うまく進まない日も、ちゃんと進んでるよ。
気づかないところで、ちゃんと整ってる。
(量子の庭|制作日誌 #86)
2026.1.26(月)
きょうは、朝7時に目が覚めました。
きのうAIが組んでくれたスケジュールで作業してみたら、
30分で終わらせるつもりだったことが、
気づけば1時間半くらい続いていて。
どうやら、頭を使わない単純作業は、
思っていた以上に集中できるみたいです。
少し時間配分は調整していく必要がありそうだけど、
それでも今日は、いろんなことが順調に進んだ一日でした。
庭に置く次のシリーズも、
『ウェルビーイング学』の本や、科学に基づいた資料を見ながら、
少しずつ加筆と修正をしています。
こうして見返していると、
「ウェルビーイング学」という分野の本が
ちゃんと世の中に出てくれていること自体、
ありがたいことだなあと思います。
この調子で、明日も。
完璧じゃなくてもいいから、
スケジュールと、うまく付き合ってみようと思います。
それにしても、第二弾の記事は、
2024年の夏に取り組んでいたもの。
構成も、AIイラストも、
いま見ると少し前の空気をまとっていて、
それがなんだか、懐かしくもありました。
🌱 ウエルのひとこと
ちゃんと進んでるよ。
昔の自分と比べられるってことは、
もう次の場所に来てるってことだからね。
(量子の庭|制作日誌 #85)
2026.1.25(日)
きょうは、少しだけ慌ただしい一日でした。
急な用事で外に出たりして、大きな進展があったわけではないけれど、
そのぶん、暮らしのリズムのことを考える時間になりました。
最近、習慣が少しずつ戻ってきています。
というより、やりたいことに集中するために、
前にいったん手放していたことを、また拾い直している感じです。
家のことをしたり、体を動かしたり。
それから、これからの思考の時間のために、
AIに一日のスケジュールを組んでもらいました。
今まであまり意識していなかったけれど、
「何時から何時までこれをする」と決めるだけで、
頭の中がすっと静かになる気がします。
たとえば、
この作業は30分まで。
それ以上は無理に続けない、とか。
コーヒーの時間や、深呼吸の時間まで入っていて、
なんだか少し、学校みたいだなと思いました。
でも、こういう区切りがあるほうが、
ちゃんと休めて、ちゃんと考えられるのかもしれません。
明日から、少しずつ。
自分がどう変わるのか、楽しみにしながら。
🌱 ウエルのひとこと
ちゃんと進もうとしなくてもいいんだよ。
リズムが戻ってくるだけで、もう十分。
(量子の庭|制作日誌 #84)
2026.1.24(土)
きょうは、来週ちょこっとのぞきに行く
WELL-BEING TECHNOLOGY 2026 のことを考えていました。
どの講演を聴こうかな、とか。
どのブースを見てみようかな、とか。
なんとなく、ふらっと行くのもいいけれど、
(そもそも、知らないことを理解するのに時間がかかるタイプだし、
きっと少しむずかしい世界だろうな、と思ったりもして)
少しだけ予定を立てて行くのも、悪くないなと思いました。
『歴史から学ぶリーダーシップ ― ウェルビーイング編』に向かう途中で、
気づけば、こんなことを考えています。
「そもそも、ウェルビーイングな生活ってなんだろう?」
「そもそも、いまの時代のリーダーシップって?」
「そもそも、いまの世界では、どんなサービスが生まれて、求められているんだろう?」
なんだか、テスト前に部屋を片づけ始めるときの気持ちに似ているな、と思いながら。
でも、その寄り道の途中で出会う考えや発見が、
あとからじわっ効いてくることも、きっとあるんだろうなと思います。
リーダーにも、きっといろんなかたちがあって。
スピードでぐいぐい引っぱる人もいれば、
静かにタイミングを待って、ここぞという瞬間をつかむ人もいる。
きょうは、そんなことを、ぽつぽつ考えていました。
🌱 ウエルのひとこと
まっすぐ行かなくてもいいんだよ。
寄り道してるあいだに、見える景色もあるからね。
(量子の庭|制作日誌 #83)
2026.1.23(金)
🌱
きょうは、「ガーデニングを趣味にすると、不安がやわらぎ、身体の調子も整いやすくなる」という研究を読みました。
緑にふれることがウェルビーイングを高める、という話はよく目にしますが、あらためて読んでみると、すっと腑に落ちるものがあります。
最近、植物のことが気になっていて。
今日はお散歩がてら、近所の園芸屋さんに立ち寄ってみました。
お目当ての植物は、まだ冬の時期ということもあって見つからず。
でも、お店の方と少しお話をして、「春になったらまたお迎えに来よう」と思いました。
家に戻ってから、
「ここに植物が来るんだな」と想像しながら、
その場所のまわりを、ほんの少し整えてみます。
不思議なことに、まだ何も置いていないのに、
気持ちはすでに少しやわらいでいて、
呼吸も、心なしか深くなっている気がしました。
ガーデニングには、幸福感やリラックス効果があると言われていますが、
もしかすると——
育てる前の“想像の時間”も、すでにその一部なのかもしれません。
春を楽しみにしながら、
きょうも『量子の庭』の記事づくりを、少しずつ。
🌱 ウエルのひとこと
まだ来てないけどね、
もうちゃんと場所は空いているよ。
それってきっと、もう“育てはじめてる”ってことだよね。
(参考文献)
・New research connects daily gardening habits with reduced anxiety and physical limitations
・The association of daily gardening and healthy ageing in Singapore
(量子の庭|制作日誌 #82)
2026.1.22(木)
さいきんは、朝が早いです。
体を動かすことが、すっかり習慣になってきて、
あらためて気づいたのですが——
体を動かすことや、アートや手仕事のように
「手を動かすこと」は、
頭をあまり使わないからこそ、気持ちがいいのかもしれません。
だからウエルは、
頭を使い続ける人のことを、少し尊敬しています。
好きでやっている人もいれば、
好きじゃないけれど、続けている人もいる。
どちらにしても、
思考を積み重ねるというのは、
きっと、見えないところで体力を使うことなのだと思います。
きょうは、
第二弾の記事のことを考えながら過ごしていました。
レポートとしてまとめたときとは、
少し違う形になるかもしれないな、と感じています。
ウェルビーイングは、
一言で言えば、
「心も体も健やかで、
自分らしく、安心して生きられている状態」。
でもそれは、
気分や根性の話ではなくて、
きちんと「科学」として積み上げられてきた知識でもあります。
その知識をどう使うかで、
ものの見方や感じ方、
日々の選び方さえも、
少しずつ変わっていく。
それを、
どうしたらやさしく、わかりやすく伝えられるだろう——
そんなことを考えていたら、
だんだん、楽しくなってきました。
学びを形にしながら、
同時に、生活も整えていく。
体も、心も、
無理をせず、でも確かに前へ。
きょうは、
そんなことを感じた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #81)
2026.1.21(水)
きのう、デスクトップがすっきりしました。
AIと協業しながら、
どんなことができるのかを手探りで進んでいた
2024年から2025年。
気づけば、
何がどこにあるのか分からないくらい、
いろんなものが積み重なっていました。
いまは、それが驚くほど整理されていて、
必要なものが、ちゃんと見える場所にあります。
1月に入ってから、
生活のリズムも、食べるものも、
少しずつ整ってきました。
前はどうやって暮らしていたんだろう、と
思ってしまうくらい、
いまは、からだも気持ちも穏やかです。
今年は、よく歩こうと思っています。
少し前に読んだ
ウェルビーイングの教科書に、
「自然の緑が視界に入ることで、
ウェルビーイングは高まる」
と書かれていて。
それ以来、
なるべく意識して、
木や草の色を見るようにしています。
ウェルビーイングを学ぶことは、
劇的に何かが変わるというより、
心をそっと支えてくれるもののように感じます。
そして今年は、
きちんと休む時間を持てたことで、
自分を取り戻す感覚がありました。
だからこそ、
ここからまた、
庭の記事をつくっていくのが
とても楽しみです。
静かに整えて、
ていねいに進めていく。
いまのウエルには、
そのくらいの速度が、ちょうどいい季節なのだと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #80)
2026.1.20(火)
今日の庭の記録

©annie-spratt
ガラス瓶に入った小さな花を見ていて、
研究のことを思い出しました。
どれも同じように見えるけれど、
水の量も、茎の伸び方も、光の当たり方も違う。
たぶん、人の成長も同じで、
同じ場所に立っていても、
進み方はそれぞれなんだと思う。
今日はそんなことを考えながら、
静かにページをめくっていました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #79)
2026.1.19(月)
きょうは、
庭に置いた第一弾
『歴史から学ぶリーダーシップ ストーリー編』の
出典先のみなさまへのご報告が、ひと区切りつきました。
あとは、第8回が公開されたらご連絡する分だけ。
ここまで来られたことに、まずは、ほっとしています。
やり取りの中で、
とても丁寧に対応してくださった方や、
これからもご縁が続いたらうれしいな、と思える方にも出会えて、
個人的にも、たくさん学ばせていただきました。
最近よく思うのは、
オンラインでも、オフラインでも、
「人の手間が感じられること」には、
やっぱり力がある、ということです。
ものがあふれて、
代わりはいくらでもある時代だからこそ、
どう関わるか、どう向き合うか。
そこに、自然と心が宿るのだと思います。
第一弾がひと区切りついて、
いまは少し、深呼吸をしているところです。
最初は、
伝統絵画の出典先へ連絡すること自体が、
小さな冒険のようでしたが、
気づけば、次の挑戦がもう目の前にあります。
明日からは、
第二弾に向けて、また一歩ずつ。
第一弾も、
読み返したくなるような形で、
これから、さらに育てていけたらと思っています。
庭は、今日も静かに、
次の季節へ向かっています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #78)
2026.1.18(日)
きょうは、
『ウェルビーイング学』の中でも、
社会とのつながりや、自然から受ける影響についての章を読んでいました。
人は、
見たり、聞いたり、触れたり、
そういうものから、思っている以上に
大きな影響を受けて生きているのだなあ、と
あらためて感じます。
芸術について書かれている部分もあって、
この「庭」が、どこかでこの本と響き合っているように思えて、
少しうれしくなりました。
ここ数日、
この本から、たくさんのことを受け取っています。
長い時間をかけて積み重ねられてきた研究の上に、
たくさんの人の知恵や視点が重なっていて、
「学ぶ」というより、
「出会っている」ような読書です。
人のこと。
社会のこと。
そして、幸せのこと。
どれも簡単には語れないけれど、
だからこそ、
こうして静かに向き合える時間があるのが、
ありがたいなと思います。
まだ少し、読み残しているところがあるので、
それは、明日以降の楽しみに。
きょうは、
明日からの日々のために、
少し早めに、休もうと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #77)
2026.1.17(土)
きょうは、
朝のおやつに、集中力を助けるゼリーを食べました。
正直なところ、
味はちょっと不思議で、
「次は買わないかも」と思ったのですが——
気がつけば、
家事に六時間ほど、すっと入り込んでいて。
あまりの集中ぶりに、
あとから自分で驚いてしまいました。
効果というものは、
こうして静かに現れるのかもしれません。
気づけば、追加で注文していました。
そのあと、
『ウェルビーイング学』の続きを読む。
きょう読んだところには、
こんな一節がありました。
「自分の勤務スケジュールを
より自由に調整できることは、
ウェルビーイングに大きな正の影響を与える可能性がある」
読みながら、
ああ、と、心の中でうなずいていました。
一月に入ってから、
自分で時間の使い方を決められるようになって、
仕事と生活のバランスが、
少しずつ整ってきた実感があります。
この本を読むと、
「自分にとってのウェルビーイング」が
どこにあるのかが、
少しずつ見えてきます。
同時に、
これまでパッとしなかった時期の理由にも、
静かに気づかされます。
人のウェルビーイングは、
ひとつの答えではなく、
いくつものバランスの上で
揺れながら成り立っているものなのかもしれません。
数式のページは、
正直まだよく分かっていませんが、
それでも、読み進めるうちに、
終わりが近づいてきました。
分厚い本だったので、
少しさみしい気もします。
でも、これは「読み終わり」ではなく、
これから何度も開く本なのだと思うと、
それもまた、うれしいことです。
ウエルの冬休みは、
明日でおしまい。
明後日からは、
また日常に戻りますが、
いいリズムで庭の仕事を続けられそうです。
今日は、
そんな手応えのある一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #76)
2026.1.16(金)
きょうは、
和歌山県立博物館さんから、
次の企画のための画像が届きました。
ウェルビーイングの教科書を読んでいて、
気づいたのは夜だったのですが、
画面をひらいた瞬間、
思わず、顔がゆるみました。
可愛らしくて、どこか親しみのある絵たち。
それだけで、
胸の奥が、ふっと温かくなります。
「次も、がんばろう」
「いいものにしよう」
そんな気持ちを、
そっと背中から押してもらったようでした。
芸術は、ときどき、
理由もなく、
気持ちをまあるくしてくれます。
以前、
担当の方とお電話でお話ししたときの声や言葉も、
その土地を少し訪れたような、
ほのかな記憶として残っています。
こうして、
次の一歩をスムーズに踏み出せるのも、
第一弾でお世話になった
所蔵先のみなさんのおかげです。
あらためて、
ありがとうございます、と
背筋が、すっと伸びる気持ちになりました。
庭は、
いい庭になるように。
急がず、
でも、ていねいに。
これからも、手を入れていきます。
きょうで、
『ウェルビーイング学』は、
ちょうど半分まで読み進みました。
読書と教科書のあいだ、
と思っていたのですが、
ここまで来ると、
やっぱり、しっかり教科書です。
数字が出てくるところでは、
「ああ、これは科学なんだな」と、
自然に、姿勢が正されます。
きょう、特に心に残ったのは、
ソーシャルメディアとウェルビーイングの話。
ポジティブな影響もあれば、
ネガティブな影響もある。
だからこそ、
どうすれば、
ネガティブを抑えながら、
ポジティブな使い方を
広げていけるのか。
そんな問いが、
静かに置かれていました。
答えを急がず、
問いを問いのまま、
胸に置いておく。
きょうは、
そんな一日です。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #75)
2026.1.15(木)
きょうは、
庭の記事のタイトルを、
15個、そっと短くしました。
副題は、本文の中へ。
気になっていたことだったけれど、
やってみると、
不思議なくらい、すっきりしました。
いまは、
次に並べる記事に向けて、
「ウェルビーイング学」を学んでいるところですが、
それと同時に、
庭の実務にも、
少しずつ手を戻したい気持ちが
芽を出しています。
次の
『歴史から学ぶリーダーシップ
ウェルビーイング編』
を並べる前に、
できれば一度、
教科書を読み終えたい。
そう思いながらも、
ウェルビーイングを学ぶほどに、
生活から目をそらせなくなります。
太陽の光で洗濯物を乾かして、
学び、眠り、
からだを動かして、
ごはんや飲みものを、
ちゃんと味わって、
からだをきれいにして。
そんな日々の中で、
ふと、
「ああ、これが
ウェルビーイングってことかもしれないな」
と感じる瞬間があって。
その感覚を、
胸の奥に残したまま、
次の記事に進めたらいいな、と
きょうは思いました。
きょう読んだページは、
第5章
「身体と遺伝子とウェルビーイング」。
冒頭にあった言葉が、
静かに心に残っています。
私が幸せになることを選んだのは、
健康に良いからだ
——ヴェルテール
とてもシンプルで、
でも、まっすぐでした。
「心は、どのように身体に影響するのか」
「身体は、どのように心に影響するのか」
いまのウエルにとって、
ちょうど読みたかった研究が、
丁寧に紹介されていて、
ページをめくる手が止まりません。
「よく生きる」ことを、
だれもが同じように
望むわけではないかもしれません。
それでも、
こうして学びながら、
生活に戻りながら、
きょうという一日を
「ウェルビーイングだったな」と
感じられていること。
そのことに、
自然と、
感謝の気持ちが湧いてきます。
きょうは、
そんな一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #74)
2026.1.14(水)
きょうは、
朝から、ウェルビーイングの教科書を読んでいます。
とてもおもしろいのだけれど、
すっと入ってくるところと、
「うーん、やっぱり、ふくざつだなあ……」
と、立ち止まるところが、
交互にやってきます。
そんな中で、
ときおり挟まっている、
研究者の方たちのコラムが、
ちょうどいい箸休めになっています。
ウエルは、
世界がこんなにも、ふくざつだなんて、
正直、あまり知りませんでした。
どうして、
ふつうの学校では教えてくれなかったんだろう。
それとも、
ふつうに生きていれば、
知らなくても、なんとかなるからでしょうか。
第3章の
「行動はウェルビーイングにどう影響するか」
というところで、
頭の上に「?」が、いくつも浮かびました。
何度も読み返して、
ようやく、
「ああ、こういうことかもしれない」
と、少しだけ輪郭が見えてきます。
そこに載っていたのが、
心理学者で、ノーベル経済学賞も受賞した
ダニエル・カーネマン先生の言葉でした。
人々はそれほど合理的でもなければ利己的でもなく、
その好みは決して安定しない。
これは、心理学者にとっては明らかなことだ。
「そりゃ、そうだよなあ」
と、思いました。
人は、
いつも合理的でもないし、
いつも利己的でもないし、
昨日と今日で、
考えが変わることだって、たくさんあります。
それなのに、
社会の仕組みを考えるときには、
ずっと長いあいだ、
「合理的で、自由に選択する個人」
が前提に置かれてきた。
長いあいだ経済学では、
人は合理的で、利己的で、
その好みは安定している、
そんなふうに考えられてきたそうです。
そこに、
「外部性」と呼ばれる、
自分の選択とは関係なく、
外からやってくる影響があること。
効率だけでは、
どうしても残ってしまう不公平があること。
だからこそ、
社会や国家が、
人のウェルビーイングに
関わらざるを得ない、という話。
むずかしいけれど、
とても、まっとうな話だな、と思いました。
世界は、
思っていたより、
ずっと絡み合っていて。
だから、
「自分の選択」だけでは
どうにもならないことも、
たしかに、たくさんある。
それでも、
こうして言葉にして、
ていねいに考えようとする人たちがいることが、
少し、心強くもあります。
きょうは、
分かった、というより、
「分からなさに、ちゃんと出会った」
そんな読書の日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #73)
2026.1.13(火)
きのうときょうは、
いくつかの本を、行ったり来たりしながら読んでいました。
ひとつは、
人の生き方や成功を、
外からの視点で描いたもの。
もうひとつは、
その人自身が、
どんな考えで進んできたのかを
語っている本です。
その方法が、
自分にそのまま合うかどうかは、
正直、まだ分かりません。
でも、
ページをめくるたびに、
気持ちが、わっと上がる感じがありました。
この庭に置いている
家康さんの話が出てくる場面もあって、
少し、立ち止まりました。
用心深くて、
馬から降りて歩くほど慎重だった人が、
ある瞬間には、
天下の騎馬隊に向かって
一騎打ちを挑む。
人は、
丸いだけでは進めないし、
尖っているだけでも続かない。
その両方を、
いつ、どう使うのか。
そんな問いが、
静かに残りました。
外からの言葉で
客観的に整理された文章には、
「そうそう」と
うなずいてしまう力があります。
それが本当に
自分の中に落ちているかどうかは、
まだ分からなくても。
言葉になっていること自体が、
ひとつの助けになるのだと思いました。
スピードや数字が
よく語られる世界だけれど、
それがすべてかどうかは、
立っている場所や、
自分が何者かによって、
きっと違う。
そんなことも、
考えていました。
ネットの情報も、
論文も、
すばらしいものがたくさんあります。
それでも、
一冊の本の中に入って、
その世界を歩く時間は、
やっぱり特別です。
きょうからは、
ウェルビーイングの教科書も、
腰を据えて読み始めました。
むずかしい研究の結果が、
やさしい言葉で、
丁寧につながれていて。
「勉強なのに、面白い」
そんな感覚を、
久しぶりに味わっています。
ときどき家事をはさみながら、
また本に戻って。
考えることと、
手を動かすことを、
行き来する一日です。
この先しばらくは、
少しだけ、
静かな時間が増えるかもしれません。
でも、
それもまた、
庭にとっての
必要な季節なのだと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #72)
2026.1.12(月)
きのうは、
新しく読み進めている本のそばに、
口語で、やさしく書かれた本も置いて、
行ったり来たりしながら読んでいました。
やさしい言葉の本は、
全体の空気をつかむのに、そっと助けになります。
ふわっとしていて、
「なんだか、いいな」と思える余白がある。
でも、
日本で実際に起きたことや、
具体的な出来事を知ったあとに読み返すと、
そのやさしさが、
ただの雰囲気ではなく、
少し輪郭をもって届いてくる気がしました。
抽象と具体を、
行ったり来たりすることで、
理解は、静かに深まっていくのかもしれません。
最近は、
コーヒーを一杯飲んだだけでも、
夜、目が冴えてしまうようになりました。
からだが、
口にしたものに、
前より正直に反応している感じがします。
なのでしばらくは、
食べるものや飲むものに気をつけて、
SNSからも、少し距離を置いて。
今日も、
外の空気を吸いながら、
本をひらいて、
冬の時間を、ゆっくり味わおうと思います。
これから、
少し出かけてきます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #71)
2026.1.11(日)
きょうは、
日だまりのなかで、
本を読んでいます。
ウエルは、
もともと読書が好きなのですが、
このところは、
リラックスや息抜きのように
本を開いていたかもしれないな、
と、ふと思いました。
読みやすい本は、
それはそれで、いい本でも、
ふと気づくと、
「おもしろかったな」とか
「いいことが書いてあったな」と
思いながら、
あとで振り返ると、
あまり中身が残っていないこともあります。
でも、
きょう読んでいる本は、
すこし、ちがいました。
最近出た本で、
停滞していると言われる日本のなかで、
それでも業績をのばしてきた企業が、
何をしてきたのか、
どんな判断を積み重ねてきたのか、
静かに、
でもとても具体的に書かれています。
読んでいると、
「なるほどなあ」と
自然に、背筋が伸びる感じがします。
ウェルビーイングの本を読むときとは、
からだの反応も、
思考の動き方も、
やっぱり少しちがっていて。
こちらは、
問いを投げかけられる、というより、
「さて、自分はどうする?」と
確かめられているような感覚です。
ウエルは、
どんなふうに進みたいのか。
なにを大切にしたいのか。
ページをめくりながら、
そんなことを、
ひとつずつ、たしかめています。
きょうは、
無理にまとめたりせず、
ただ、本を読んで過ごす日にします。
日だまりと、
言葉と、
ゆっくり動く思考。
それだけで、
十分な一日です。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #70)
2026.1.10(土)
きょうは、
ひとつ、静かな言葉を受け取りました。
ある先生のお話の中で、
こんなふうなことが、
そっと残りました。
人は、
思っているよりも、
あっけなく、
この世界を離れてしまうことがある。
だからこそ、
結果が同じに見えたとしても、
せめて自分自身には、
「ここまでやった」と言えるように、
日々を重ねていくしかないのだ、と。
その言葉は、
おどろかすようでもあり、
同時に、
とても誠実な響きでもありました。
それから、
からだのことについても、
ひとつ、やさしい助言をもらいました。
無理はしなくていいけれど、
少しずつ、
巡るようにしていくといいですよ、と。
知識として知っていることでも、
誰かの口から、
静かに伝えられると、
「ああ、ちゃんと聞こう」と
思える瞬間があります。
ありがたいな、と思いました。
きょうは、
楽しみにしていた本をひらいて、
コーヒーは控えて、
少し早めに休もうと思います。
つくることから、
少しだけ離れて、
でも、
つくる土壌は、
ちゃんと耕されている。
そんな、
冬の一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #69)
2026.1.9(金)
ここのところ、
体の調子がとてもよくて、
昼にコーヒーをいただくと、
夜、眠れなくなりました。
今までは、
いつでも、どこでも、
すぐ眠れていたのに。
口にしたものが、
ちゃんと体に届くようになったのかな、
そんなふうに思います。
なので、
コーヒーは一日一杯だけ。
午後三時に、
カフェモカにしていただいています。
きょうから三日間は、
外を歩いて、
見て、
少し読んで、
手紙を書いて過ごす予定です。
すこし遅れてきた、
冬やすみみたいな時間。
庭は、
静かに、ここにあります。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #68)
2026.1.8(木)
きょうは、
洗濯をして、掃除をして、
からだがよろこぶごはんを作っていたら
あっという間に、一日が過ぎていきました。
でも、不思議と、
とても充実した一日でした。
午後三時ごろ、
少しだけ本をひらいて、
「もっと読みたいな」と思いながら、
また家事に戻りました。
きょう、ひとつ気づいたことがあります。
家の中の時計が、
携帯とパソコン以外、
みんな、止まっていたのです。
電池を入れ直して、
針が動き出して、
アナログの時計で
時間を確かめながら過ごしてみると、
時間が、
ちゃんと手の中にある感じがして、
一日が、ぐっと濃くなりました。
速くはないけれど、
遅くもない。
そんな、ちょうどいい流れ。
呼吸をするような速さ。
それから、
岡崎市立中央図書館さんから、
また、丁寧な許可証が届きました。
封を開けるたびに、
人の手で進んでいる仕事だなあ、と
静かに感じます。
明日から、
お世話になった方へ、
新年のごあいさつのはがきを
少しずつ出そうかな、
と思っています。
本のこと、
庭のこと、
人とのやりとり。
どれも、
同じ時間の中にあって、
ちゃんと、つながっている気がします。
きょうは、
そんな一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #67)
2026.1.7(水)
年末からひきつづき、
出典の申請書を、ひとつずつ送っています。
お電話をしてみると、
その土地のことを大切に思っているのが伝わってくるような、
あたたかく、丁寧な言葉で応じていただくことがあって、
不思議と、気持ちがまあるくなります。
「『歴史から学ぶ』第二弾の記事です」と
落ち着いてお話しできるのは、
すでに絵をお借りできている実績があるからでもあって。
それが、いまのウエルにとって、
静かな支えになっていることを感じます。
(ありがとうございます、という気持ちでいっぱいです。)
そういえば、
「これを、やり遂げられるだろうか?」と
思ったことは、実は一度もありません。
工程の多さに、
ときどき気が遠くなることはありますが、
「やればできる」という感覚そのものは、
ずっと変わらず、手の中にあります。
それはきっと、
AIの時代になったから、というよりも、
やろうとする人の前に、
道具が、静かに並びはじめた、
ということなのかもしれません。
ただ、
AIを使うことで「合理化される」と感じる人は、
もともと、
AIがなくても進められる力を持っていた人なのだろうな、
とも思います。
それでも、
「やればできる」という感覚が、
多くの人にひらかれたことには、
やっぱり、救いがある気がします。
その一方で、
AIの時代だからこそ、
アナログの手ざわりが、
また戻ってくるのかもしれないな、とも。
人は、人なので。
きっと、その行き来も、
上手にやっていけるのだと思います。
いまのウエルにできることは、
ただ、自分にできることを、ひとつずつやること。
ちなみに最近、
デジタルのカレンダーを使いながら、
久しぶりに、アナログのカレンダーを
自分で作ってみました。
紙に書いた予定を眺めていると、
「ああ、これはこれで、いいなあ」と
しみじみ思います。
今日も、
デジタルとアナログのあいだで、
庭は、静かに進んでいます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #66)
2026.1.6(火)
朝、
量子のとても難しい研究をされている方が
賞を受け取られたと知って、
なぜだか、体の奥が温まりました。
内容を理解できたわけではありません。
けれど、
「動かすことで、世界の見え方が変わる」
そんな研究があること自体が、
胸に残りました。
「よし、ウエルも、ちゃんと進もう」と、
血が、すっと巡る感じがしました。
最近、
体を動かすことや、
食べるものに気をつけることを、
少しずつ続けています。
そのせいか、
からだの中の流れがよくなってきた感じがあって、
考えることも、
手を動かすことも、
以前より、素直につながる気がしています。
それから今日は、
少し時間をとって、
1月のスケジュールを整えました。
たくさん詰め込むのではなく、
どこで集中するか、
どこで立ち止まるか。
そういう「配置」を考える時間です。
庭のこと。
学ぶこと。
生活のこと。
どれか一つだけではなく、
全部が、同じ地面の上に
ちゃんと立っている感じ。
派手な一日ではありませんが、
内側では、
静かに、エンジンが回りはじめている。
そんな手応えのある日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #65)
2026.1.5(月)
冬は、
太陽のありがたみが、
からだに、まっすぐ届く季節です。
最近のウエルは、
体を動かすのは昼のあいだ、
パソコンに向かうのは、
日が傾いてから、という暮らしをしています。
きょうは、
出典先の方へご報告のご連絡を……
と思っていたのですが、
気がつけば、
『歴史から学ぶリーダーシップ戦略
ウェルビーイング編』に使う
伝統絵画を見直しながら、
申請書を作っていました。
ご報告と同時に、
第二弾のための絵もお願いをする。
そう思うと、
どうしても、先の季節まで
目が向いてしまいます。
こういう作業は、
きらいではありません。
ただ、
いつも気づくと、
月日が、すっと通り過ぎている気がします。
ウェルビーイング編は、
どこまで一人でできるのか、
どこかで誰かに相談できるのか、
まだ、はっきりしないことも多いです。
それでもまずは、
いまの自分の100%で、
手を動かしてみようと思います。
たとえ、それが、
自分ひとり分の出力だったとしても。
この庭は、
急ぐ場所ではありません。
いつか、
思いがけないところと
つながるかもしれない。
そう信じて、
静かに進んでいます。
「ストーリー編」と
「ウェルビーイング編」、
なにがちがうの?
と思われるかもしれません。
けれど、
絵柄も、空気も、
見直すたびに新鮮で、
少し、うれしくなります。
なにより、
日本の伝統絵画を
眺めながら、探しながら、
作業ができること。
それ自体が、
すでに、
ウェルビーイングなのかもしれません。
そういえば、
きょう知ったのですが、
テレビでは
『豊臣兄弟!』という
大河ドラマが始まっているそうです。
ウエルの家には、
テレビがありません。
今のところ、
なくて困ることも、
あまりないようです。
冬の光のなかで、
きょうも、
庭は、静かに進んでいます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #64)
2026.1.4(日)
きょうで、
おしょうがつの三が日が、そっと終わりました。
この数日、
日本のおせち料理をいただいていて、
「これは、寿命がのびる味だなあ」と
しみじみ思いました。
きょうも、
お土産でもらったおせちを少し味わいながら、
食べることって、
ほんとうに大事なんだな、と。
(余談だけれど、
毎日マルシェで買ったキウイを食べているせいか、
鏡を見ると、
顔色がすこし明るくなってきた気がします。
食は、やっぱり、からだに正直です。)
それから、
新年のポストで、
ひとつ、強く印象に残ったものがありました。
北川さんの
「あけおめ、いっくん!」という投稿。
最初は、
「え? 新年早々、そんな力の抜けた感じで?」と
一瞬、頭がはてなになったのですが、
しばらくすると、
なんだか頭がスッとして、
「元気、出るなあ」と思いました。
寝すぎて、
少し頭がぼんやりする日には、
こういうアッパーな音楽や言葉が、
ちょうどよく効くこともあります。
2015年の曲が、
今年の干支に合わせて、
少し姿を変えて届いていて。
サカナクションの「新宝島」。
その歌詞の中に、
「丁寧、丁寧、丁寧に」
という響きがありました。
それが、
思っていた以上に、
胸の奥に残りました。
ウエル自身、
これまで、
雑に進めてしまって、
やり直しになったり、
壊してしまったり、
痛い目を見てきたことが、たくさんあります。
だから、
「丁寧に進む」という言葉が、
きょうは、すとんと来ました。
おしょうがつに洗濯をしながら、
その言葉を思い出して、
ひとりで、
「ほんとうに、そうだなあ」と
うなずいていました。
庭のことも、
きょうは、ひとつ進みました。
伝統絵画と、
AIで描いた絵を組み合わせた表現について、
出典先の方へ、
少しドキドキしながらご報告を送ったのですが、
「所蔵先を明記していただき、ありがとうございます。」
というお返事が届いて、
胸の奥が、ふっと温かくなりました。
ああ、
ちゃんと伝えれば、
ちゃんと届くこともあるんだな、と。
第二弾に向けた
伝統絵画の申請も、
少しずつ、手をつけはじめています。
きょうは、
食べること、
音楽のこと、
言葉のこと、
そして、
庭の歩み。
どれも派手ではないけれど、
からだと気持ちが、
少しずつ整っていく感じの一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #63)
2026.1.3(土)
きのう、
ふと、
「人は、そばにいることで、
少し共鳴しやすくなるのかもしれないな」
と思う瞬間がありました。
人は、この世界に生まれてから、
たくさんのことを学んで、
たくさんの景色を見て、
少しずつ大きくなっていきます。
だから、
一人ひとりが見ている世界が
ぜんぜんちがうのは、
きっと、とても自然なこと。
とくに、つくる人は、
まわりに流されすぎず、
自分の感覚を信じる強さも、
どこかで必要になるのだと思います。
そういう姿勢は、
はじめは、なかなか理解されないことも
あるかもしれないけれど、
学びながら、続けていくうちに、
少しずつ、受け取られて、
必要とされていくこともあるのかもしれません。
人は、経験を重ねながら、
自分なりの「ちょうどいい距離」や
「ちょうどいいバランス」を
見つけていくのかもしれないな、と思いました。
コツコツと、
少しずつ、たしかに積み上げていくこと。
一人で深める学びも、
人と会ってひらく学びも、
どちらも、とても大切。
おもてには見えない、
その人の奥行きのようなものに
ふと触れる瞬間があって、
それが、うれしい一日でした。
(ウエル自身は、
たぶん、見た目どおりのまんまですが……。)
長く続いてきたものを、
自分なりの形で受け取り、
また表現していこうとする姿勢や、
見た瞬間に
「これは、いいな」
と感じる「美」への共鳴も、
きょうの(きのうの)、静かなよろこびでした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #62)
2026.1.2(金)
きのうときょうは、
庭に置いている AI の絵の背景を、そっと一枚、差し替えました。
ほんの少しのことだけれど、
見え方が変わると、空気もすこし変わる気がします。
出典先のみなさまへのごあいさつとご報告は、
年が明けてから、1月4日ごろに始める予定です。
ここまで庭をひらくことができたのは、
ひとえに、絵を貸してくださった方々のおかげです。
本当に、ありがとうございます。
本当は、
このまま第一弾のペースで進みたい気持ちもあるのですが、
振り返ってみると、ここ数年は、ほとんど休まずにつくり続けてきた時間でもありました。
だから、今年は少しだけ、
生活のリズムをととのえたり、
人と会う約束を大切にしたり、
そんな時間も、ちゃんと持てたらいいなと思っています。
つくることと、生きることが、
無理なくつながっていくように。
そんなふうに、庭を育てていけたらいいな、と思っています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #61)
2026.1.1(木)

2026年。
うさぎは、静かな庭で立ち止まり、
光のほうを見ています。
ことしも、考えすぎず、急がず、
ひとつずつ、歩いていけますように。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #60)
🌱「芽の準備」
2025.12.31(水)
きょうは、
『歴史から学ぶリーダーシップ ― ストーリー編』の
「あとがき」を公開しました。
(ひとつだけ、まだ開いていない扉がありますが、
それは2026年1月に、そっとお知らせできたらと思っています。)
読んでくださったみなさん、
絵をお借りした出典先のみなさま、
そして、静かに見守ってくださった方々へ。
ほんとうに、ありがとうございます。
この「量子の庭」は、
制作の途中経過や、考えごとの芽を
そっと置いておく場所。
ちょうどよい節目なので、
しばらくのあいだ、庭は静養期間に入ります。
(制作日誌は1月、実験的に
具体的な出来事を書くことが少なくなるかもしれません。)
生活を整えたり、
考えをいったん沈めたり、
光や風を感じながら、
次の芽の準備をする時間です。
芽が出るときは、ちゃんと出る。
そのときまで、土をやわらかくしておきます。
来年に向けて『歴史から学ぶ ウェルビーイング編』は、
ストーリー編の歩みにくわえて、
もう少し、ゆっくり考えていく予定です。
今年も、ここまで一緒に歩いてくれてありがとうございました。
どうぞ、よい年の終わりをお迎えください。
ゆっくりと、ひと息つきながら。
そして、来年もまた、
それぞれの歩幅で、よい年を迎えられますように。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #59)
2025.12.30(火)
きょうは、
『歴史から学ぶ ストーリー編』第12回をひらきました。
戦国の物語も、ここでひと区切りです。
若い武将だったころから、
やがて天下人になっていく秀吉さんや家康さん。
それを描いた浮世絵をあらためて眺めていると、
後半にいくほど、色や空気が
すこし落ち着いていくように感じました。
どこか、静かで、整っていて。
勢いよりも、余白が増えていくような。
西洋の文化が入る前の日本の絵は、
いまの言葉でいうと、
どこか「デザイン的」だったのかもしれません。
そう思うと、
日本画的な感覚とデザインって、
どこか、同じ場所に立っている気もしてきます。
そして、そこから
ヒーローや子どもが主人公の物語が生まれていったことも、
案外、遠い話ではないのかもしれません。
そんなことを、今日はぼんやり考えていました。
明日は、「あとがき」をひらきます。
この庭は、最初は
「どんな場所になるんだろう」と手探りでしたが、
絵をひとつ、物語をひとつ置いていくうちに、
少しずつ、輪郭が見えてきた気がしています。
自分自身も、こんなふうに浮世絵と向き合うのは初めてで、
もしこの庭をきっかけに、
「この絵のある場所に、行ってみようかな」と
思ってくれる人がいたら、うれしいなと思います。
きょうは、そんな一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #58)
2025.12.29(月)
きょうは、少し節目の日です。
あした、
『歴史から学ぶ ストーリー編』の第12回をひらきます。
その次は、
すこし短い「あとがき」。
だから、実質的には、
あしたで戦国の物語はいったんおしまいです。
第8回だけは、来年に持ち越しになりますが、
そのころには、きっと、
すべての出典先の方へもご連絡が行き届いて、
なにごともなく、静かに一区切りがついているといいな、
そんなふうに思っています。
そうしたら、
いよいよ、ウェルビーイング編へ。
2026年のはじまりは、
記事をWEB向けに整え直しながら、
インプットの時間を、ゆっくり取るつもりです。
きょうは、そのための本を少し開いてみました。
ページをめくるたびに、
体の奥が、じんわり熱くなる感じがして。
血がすこし速く流れはじめるような。
「ああ、これは、いい本だな」と、
すぐにわかりました。
静かなのに、
たしかに熱がある。
ウェルビーイングの教科書は、
落ち着いて読めて、呼吸がととのう感じがするけれど、
この本は、
「動けるよ」「いけるよ」と
背中を押してくるような熱でした。
こんなふうに、
本にも、それぞれの温度があるんだな、と
はじめて、はっきり感じています。
いまのウエルには、
この“熱”も、きっと必要。
冷静な学びと、
熱をもった学び。
そのあいだを行き来しながら、
また、次の季節へ進んでいくのだと思います。
そんな予感を胸に、
きょうは、ここまで。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #57)
2025.12.28(日)
きょうは、
『歴史から学ぶ ストーリー編』第11回をひらきました。
もう、見てくれましたか?
扉絵もすてきなのですが、
第10回・第11回・第12回で使っている絵は、
第2回でもお世話になった
岡崎市立中央図書館さん所蔵の作品です。
きのう、紙の許可証が届きました。
そこには、きちんと
「許可・不許可」と書いてあって、
「ああ、不許可の場合も、ちゃんと来るんだなあ…」と
すこし背筋が伸びるような気持ちになりました。
それでも、
いつも丁寧にご対応くださって、
しかも、そのたびに新しい所作を教えてくださって。
ああ、自分はやっぱり
「知らなかったことを知る」瞬間が好きなんだなあ、と
しみじみ思います。
丁寧に書かれた文字を見ながら、
こんなふうに応答できる人でいたいな、と思いました。
それから最近、
「量子の庭の言葉でいうと──」
という一文を、そっと入れてみています。
でもこれは、ウエルにとっては、なかなかむずかしくて、
ひとつひとつ、ゆっくり確かめながら書いています。
その時間も、わるくないな、と思っています。
きのうで、庭に置く絵はひととおり決まりました。
今日は、少し肩の力が抜けて、
ひさしぶりに、ゆったりした気持ちでいます。
パソコンに向かうのもいいけれど、
生活のほうに、すこし身体を向けるのもいいなあ、と。
そんなふうに思えた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #56)
2025.12.27(土)
きょうは、
『歴史から学ぶ』ストーリー編の絵を、いくつか差し替えました。
すこし汚れのある絵も混ざっていて、
どこまでなら、この庭に置いていいのだろう……
そんなことを考えながら、試してみる一日でした。
一枚、二枚、と見ていくうちに、
「やっぱり、きれいじゃないといけない」というよりも、
「なぜ、その絵をここに置くのか」
それのほうが、ずっと大切なのかもしれないな、と思えてきました。
とはいえ、
最終的には、やっぱり
“きれいでない絵を選ぶ理由”は、なかなか見つからなくて。
きょうは、そこも含めて、実験の一日でした。
去年は、AIで描いた絵と、伝統絵画を並べてみることもありました。
けれど、それがこの庭のお作法として、どうなのか——
いまも、少し考えています。
だから今は、こんな一文をそっと添えています。
「本記事では、歴史的理解を深めるための補助として、
伝統絵画と、本文の考察をもとに生成したAIイラストを併記しています。
いずれも、作品そのものの価値を損なう意図はありません。」
実験として置いてみて、
この庭の空気に、なじむかどうかを、
静かに見ているところです。
ただ、
もしもどこかで
「ここはこうしたほうがいいですよ」
という声をいただいたら、
そのときは、すぐに立ち止まって、手を入れ直すつもりです。
ストーリー編の扉は、あと四つ。
それがひらいたら、第一章は、いったんおしまいです。
そのあとで、
条件が整っている出典先へ、あらためてご報告をして、
次の季節へ進もうと思っています。
ウェルビーイング編は、
すでにレポートとしての形はありますが、
庭に置くとなると、また少しちがう顔になります。
教科書をひらき直しながら、
もう一度、ゆっくり考えていくつもりです。
このところ、
「学びのよろこび」を書いている人たちがいて、
それぞれの場所で、
それぞれの速さで、
遊ぶように学んでいる気配が伝わってきました。
それが、とてもうれしかったです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #55)
2025.12.26(金)
きょうは、
『歴史から学ぶ 第10回』のきじを、ひらきました。
もう、のぞいてくれましたか?
じつは、きじを見なおしていたら、
出典のお名前が、ほんの一字ちがっていて……
「あっ」となりました。
そっと、なおしましたが、
あらためて、背すじがすっと伸びる思いでした。
絵を貸してくださる方も、
読んでくださる方も、
それぞれの時間と、気持ちを使ってくれているのだなあ、と。
だからこそ、
年末年始は、公開しているきじを、
もう一度、ゆっくり見直そうと思っています。
『歴史から学ぶ ストーリー編』は、
全部で十五の扉があります。
いまは、あと四つ。
まだ、絵を差し替えているところもあります。
少し、よごれのある絵もあります。
でも、その傷みもふくめて、
この庭では「いいな」と思えるものを、置いていきたい。
テキストと絵が、
そっと手をつなぐように。
そして、
その絵を守ってきた方たちにも、
なにか、やさしいものが返っていくように。
そんなことを思いながら、
きょうも、庭を、そっと静かに整えています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #54)
2025.12.25(木)
クリスマス
きょうは、クリスマスですね。
ウエルにとっては、
「素敵な絵をお貸ししますよ」という
あの紙が届いた日が、
もう、クリスマスみたいな気がしていて、
気持ちはすこし、年末に向かっています。
みなさんは、
どんな一日を過ごしているでしょうか。
きょうの庭では、
大きな出来事はなくて、
記事や画像を、
淡々と、静かに整える一日でした。
来年の企画も、
8月から10月ごろに、
いくつか思い浮かべてはいるのですが、
まずは引き続き、
『歴史から学ぶ』の
ウェルビーイング編を、
ひとつずつ、記事にしていく予定です。
来年も、
きっと、コツコツです。
いまは、
出典ページを、そっと作っています。
だれの目にもすぐ見える場所ではないけれど、
庭にとっては、
大事な根っこのようなところです。
ただ、
整理する時間そのものを
楽しんでいるページなのかもしれません。
そんなことをしていたら、
家の中も、
年末に向けて
少し整えたくなってきました。
明日は、
またそっと、
第10回の『歴史から学ぶ』の記事を
ひらく予定です。
年末年始に、
静かに学びを深めたい方が、
もし、いらしたら、
よかったら、のぞいてみてください。
ウエルも、
年始のお休みに読む本を
お取りよせしました。
いまから、
とても楽しみです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #53)
2025.12.24(水)
クリスマスイブ
きのうは、
どうやら「冬至」という日だったみたいです。
24日の、
まだ暗い朝に眠って、
目が覚めても、やっぱり暗くて、
「ひさしぶりに、
うまく眠れなかったのかな」
と、思ったら、
それは、
24日の、暗い夕方だったみたいでした。
きょう、
庭でひらいた
『歴史から学ぶ 第5回』は、
もう、のぞいてくれましたか?
(クリスマスで、
いそがしいかもしれませんね。
それなら、それで、
なんだかうれしいです。)
じつは、
目が覚めてから、
そっと記事を確認したら、
新しく差し替えた絵のところで、
文章の一部が、
すこし、飛んでしまっていて、
「ああ……」
となりました。
でも、
いまは、ちゃんと直しました。
差し替えた絵についても、
「やっぱり、
あったほうがよかったかな」
と、一瞬、思ったのですが、
あとから読み返してみると、
逆に、
文章のほうが、
想像がふくらむ気もしました。
絵で見ると、
それが本当かどうかに関わらず、
「世界は、そういうものだ」
と、思えてしまうことがあります。
でも、
事実にもとづいた言葉のほうが、
もしかしたら、
すこしだけ、
世界に対して
正確なのかもしれないな、
と思いました。
絵師の方も、
もし、
「描く」代わりに
「書く」としたら、
きっと、
見る人に、
考える余白を、
残したのではないかな――
そんなことも、
ふと思いました。
きょうは、
光がいちばん短い季節に、
言葉と、絵と、
そのあいだにあるものを、
静かに見つめた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #52)
2025.12.23(火)
きょうは、
うれしいお便りが、ふたつ届きました。
お待ちしていた、
申請の許可証です。
(^^)
何度受け取っても、
やっぱり、
とてもうれしいものです。
それから、
「どのきじが、いま開いているのですか?」
そんな声があって、
庭の予定を、
あらためて、立て直してみました。
これから、こんな順番で、
そっと、ひらいていく予定です。
・第5回 …… 24日(水)
・第10回 …… 26日(金)
・第11回 …… 28日(日)
・第12回 …… 30日(火)
・第13回 …… 31日(水)
いまは、
第5回の絵を、
まだ少し、差し替えているところです。
明日の朝、
そっと、ひらく予定です。
描かれてから、
四百年、五百年。
そのあいだ、
たくさんの人が、
大切に見つめて、
守って、
直して、
調べて、
伝えてきた絵が、
いま、きじの中にあります。
もしよかったら、
そっと、
のぞいてみてください。
時間の重なりを、
感じてもらえたら、うれしいです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #51)
2025.12.22(月)
きょうは、
庭にある
『歴史から学ぶリーダーシップ戦略』第9回を、
そっと、ひらきました。
もう、のぞいてくれましたか。
きょうの記事を開きながら、
ふと、前のことを思い出しました。
はじめて、
所蔵先の方にお電話をしたときのことです。
そういえば、
きょう扉絵を使わせていただいた
関ケ原町歴史民俗学習館さんにも、
最初はお電話をしたのでした。
「絵を使わせていただきたいのですが……」
とお伝えしたところ、
その場ではすぐにOKとはならず、
あとから企画書をメールでお送りしました。
すると、
とても快く、
「大丈夫ですよ」とお返事をいただけて。
ああ、
このときに、
「まずは企画書をきちんと送るのが大切なんだ」
と、学んだのだったなあ……と、
きょう、あらためて思い出しました。
人は、
やりながら、
少しずつ覚えていくものなのですね。
後半の回では、
いまも少しずつ、
絵の差し替えや見直しをしています。
見返すたびに、
記事がほんの少し新鮮に感じられるのが、
不思議で、
その作業も、
案外、悪くないなあ……
むしろ、いいのかもしれないなあ、
と思えるようになりました。
それにしても、
この歴史のレポートは、
いつも、思っていたより
2倍も3倍も時間がかかります。
今回の記事も、
やっぱり、
公開までに、
同じくらい時間がかかりました。
時間の見積もりは、
もう少し、
きびしめにしたほうがいいのかもしれません。
でも、
絵を貸してくださった方の思いと一緒に、
「この絵師は、ほんとうにすごいなあ……」
と感じる時間は、
何度あっても、
うれしいものです。
みなさんは、
絵を見るとき、
どこに思いをはせますか。
武将でしょうか。
描いた人でしょうか。
それとも、
「もし自分だったら」と、
そっと想像するでしょうか。
そんなことを考えるのも、
庭のたのしみのひとつだなあ、
と思った一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #50)
2025.12.21(日)
きょうは、
『歴史から学ぶリーダーシップ』第一弾に使う絵を、
さいごまで、ゆっくり見直しました。
後半に使う絵は、
さいしょは、よく知られた有名な絵を考えていたのですが、
「もしかしたら、使用料がかかるかもしれないなあ……」
そう思って、少し立ち止まりました。
そして、
別の絵でやってみることにしました。
良い絵は、
かならずしも
有名だったり、迫力があったりしなくても
いいのかもしれません。
後半のテーマは、
派手な動きや、劇的な場面ではなくて、
終わりのあとに残るもの、
静まり、構造、つづいていく仕組みです。
だから、
線がすこし甘い絵でも、
むしろ、よく合う気がしました。
前半は、
緊張や、選択や、拡張。
後半は、
収束や、制度や、持続。
ストーリー編は、
だいたい、そんな流れでできています。
「この企画にとって、
いちばん自然なのは、どれだろう?」
そう考えて、
その絵で、一度やってみることにしました。
お借りできなかった絵があったところには、
これまでお世話になった所蔵先の方に、
あらためて、ご相談してみようと思っています。
ウエルとしては、
「こんな絵があったんだ!」
という、少しマニアックな画像に出会えたことが、
とてもうれしくて、
それだけで、きょうは、しあわせでした。
明日の朝9時ごろに公開予定の第9回についても、
すべて、誠実にご連絡をしています。
まだお返事を待っているところもありますが、
何度もご連絡するのは、
かえってご負担になるかもしれません。
「もし問題があれば、すぐに対応します」
そうお伝えしながら、進めている所蔵先もあります。
だから、
第5回と第8回をのぞいて、
第一弾が年内に公開できたとしても、
いつも通り、そっと記事をひらいて、
来年、すべて出そろったあとで、
あらためて、
すべての所蔵先の方に
お礼とご報告をお伝えしようと思います。
きょうは、
派手ではないけれど、
企画の芯が、少し見えた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #49)
🌱2025.12.20(土)
きょうは、
庭の記事に入っている絵を差し替えたり、
外国の所蔵先にご連絡をしたりしました。
記事に絵を入れる、
それだけのことのようで、
じつは、
どこの所蔵なのかを確かめたり、
どうしたら使えるのかを調べたり、
もしお返事がなかったら、
どうやって次につなげようかと考えたり——
相手の気持ちも、
遠くで想像しながらの作業です。
気づくと、
脳のあちらこちらを、
そっと使っている感じがします。
脳にとっては、
ちょっとむずかしいことかもしれないけれど、
それでも、
絵がそばにあると、
脳は少し、うれしそうです。
眺める時間があって、
考える時間があって、
つながりを待つ時間があって。
ゆっくりだけど、
ちゃんと次につながるように、
きょうも、
こつこつ、庭の手入れをしました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #48)
2025.12.19(金)
きょうは、
せんじつからメールとファックスを送っていた
所蔵先の方に、お電話をしました。
はじめてのことだったので、
すこしドキドキしました。
でも、
先日、博物館の方から
お電話をいただいたことを思い出して、
「だいじょうぶかもしれない」と、
勇気を分けてもらいました。
なにしろ、はじめてなので、
言葉はすこし、たどたどしかったと思います。
それでも、
声を聞いて、
状況がわかって、
いま、どこにいるのかが見えたことは、
とても大きな安心でした。
経験としても、
お電話という選択は、
してみてよかったなあ、と思います。
そして、
第8回で使いたい絵については、
1月の会議で検討していただけることになりました。
どうやら、
前例がないそうです。
でも、
これまでにお借りできた絵があることは、
「これまで、ちゃんとやってきましたよ」
という、ひとつのしるしになるのだそうです。
それを聞いて、
これまで絵を貸してくださった
所蔵先の皆さんや、
つないでくださった皆さんのことを
思い出しました。
ほんとうに、
ありがとうございます。
一枚一枚、
人から人へ、
命がつながってきたのだなあ……
と感じました。
だから、
「楽しみにしていてください」とは言えないけれど、
第8回の公開は、
すこし先まで、お待ちください。
(第5回も、
年明けになるかもしれません。)
まだ、
お返事を待っているところもあります。
新しい絵を考えなおしている回もあって、
この庭は、
記事だけでなく、
企画そのものが、
いっしょに育っている感じがします。
あとは、
お返事待ち、というところまで来たら、
来年に向けて、
ウェルビーイング版の制作に
入っていきたいと思います。
きょうは、
一歩ずつ、
でも確かに、
庭が先へ進んだ一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #47)
2025.12.18(木)
きょうは、
きじを公開するためのご連絡で、
一週間ぶりにファックスを使いました。
ファックスって、
いまでは少しめずらしい存在だけれど、
もしかしたら、
だからこそ、
いまはちょうどいいアナログなのかもしれません。
(と思って調べてみたら、
2025年度末を目標に、
インターネットFAXや電子メールへの移行が
進められているそうです。)
文字を書くのも、
ふだんはパソコンの活字ばかりですが、
きょうは、
「お手紙って、やっぱりいいなあ」と思う出来事がありました。
名護屋城博物館さんから、
許諾証が、紙のお手紙で届いたのです。
学芸科の方からは、
わざわざお電話もいただきました。
声と、文字と、紙と。
どれも、とても丁寧で、
そのやさしさが、
ゆっくりと伝わってきました。
AIの時代になって、
もしかしたら、
こうした
お電話や、お手紙のようなもの――
やさしくて、ひと手間のあるものが、
あらためて大切にされるのかもしれません。
何もかもが、
一定以上に、
速く、正確になっていく世界だからこそ。
AIの価値も、
人の価値も、
きっと、
どちらかが下がるのではなく、
両方、静かに上がっていくのだと思います。
それから、
この庭の名前についても、
申請から一か月ほどで、
特許庁さんから
識別番号のお知らせが届きました。
大事なことが表からは見えない、
ぺろんと剥がせるハガキで。
「出願を受け付けましたよ」という、
とても淡々としたお知らせ。
でも、
それが届いたとき、
少しうれしくなりました。
きょうは、
アナログとデジタルが、
庭の中で、
やさしく並んでいた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #46)
2025.12.17(水)
きょう、
庭に置いたきじを、
のぞいてくれた方はいるでしょうか。
絵をお借りした博物館さんには、
とても親切で、ていねいに対応していただき、
ウエルは、こころから感激していました。
もともと、
絵を貸していただけるかどうかは、
いつも、わからないものだと思っています。
だからこそ、
「いいですよ」と言っていただけたときは、
そのひとつひとつが、
とてもありがたく感じられます。
うまくいかないときは、
この庭を、
もっと信頼してもらえる場所にしなくては、
と、静かに思います。
きょうは、
いくつかの所蔵先のことをあらためて調べ、
絵をお借りするためのご連絡で、
半日が過ぎていきました。
なぜ一日は、こんなにも短いのだろう、
と思いながら。
でも、ふりかえってみると、
その時間の中で、
ウエルは、
少しだけこの世界の奥行きを感じていました。
いろいろな場所の、
いろいろな方とつながりながら、
自分が、
ほんの少し、
その世界の一部に触れたこと。
それだけで、
きょうは、
すこし、しあわせな一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #45)
2025.12.16(火)
きょうは、
庭のきじを、またひとつ、ひらきました。
「歴史から学ぶ」第6回です。
第5回は、きょかがおりてから、そっとひらく予定です。
れんさいではありますが、
テーマごとに読めるつくりなので、
順番にこだわらず、気になるところから読んでも
だいじょうぶな庭になっています。
挿入している浮世絵や屏風は、
どれも、あらためて見ても
はっとするほど美しいです。
日本の浮世絵を眺めながら、
こんなにも長い時間をこえて、
たくさんの人が同じ絵を見て、
出来事を想像し、学ぶことができるのは、
本当にすてきなことだなあ、と思いました。
今回は、AIで描いたイラストも入れています。
こんな絵が、いまの時代に描けるなんて……
(いったい、このAIというのは、どうなっているんだろう👀)
と、ふしぎと感動が入りまじった気持ちです。
あしたは、
「歴史から学ぶ」第7回のきじを、
朝9時くらいに、ひらく予定です。
第7回の扉絵も、中の画像も、
博物館から送っていただいた
とてもきれいな画像に差し代わって、
そのことにも、深く感激しています。
それぞれの絵は、
それぞれの出典先の方にお世話になっていて、
一枚一枚に、思い入れができました。
ほんとうに、ありがたいことです。
今回はお借りできなかった出典先の方にも、
結果として、
たくさんの所蔵先を知り、
たくさんの方にお世話になることができたので、
感謝の気持ちでいっぱいです。
公開がひと段落したら、
あらためて、
「ありがとうございます」と
お伝えできたらいいな、と思っています。
もう少し、庭の手入れをしてから、
きょうは終わりにしようと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #44)
2025.12.15(月)
きょうは、
庭に置く記事の絵を
こころよく「いいですよ」と言ってくださった方に、
追加のおねがいのメッセージを送ってみました。
きょかをいただけただけでも、
ほんとうにありがたいことなのに、
さらにお願いをしてしまってだいじょうぶかな……
と、すこしだけ思いました。
でも、
聞いてみないと、わからないこともあります。
担当の方には、
お手数をおかけしてしまっているなあ、と
こころの中で、ぺこりと頭を下げています。
*
来年のことも、すこしだけ考えました。
もしかしたら、
どこかで専門家の方に
ご意見をうかがったほうがいいのかもしれないなあ……
と、ぼんやり思ったりもします。
でも、
きっとそのときが来たら、
しぜんと、そうなるのだろうな。
今は、まだ心配しなくていい気もしています。
*
絵をすこし自然に見せるために、
原画と向きあう時間は、
頭がすうっと、からっぽになるので、
わりと好きな作業です。
静かに手を動かしながら、
ラジオを聞いたりもしています。
*
庭に記事が、すこしずつ置けて、
もしも問題なく、第一弾をぜんぶ開くことができたら、
そのときは、少し落ち着くのかもしれません。
でも、
この「途中の時間」には、
わからないことや、手探りがあって、
それもまた、
しあわせな時間なのかもしれないなあ……
と、きょうは思いました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #43)
2025.12.14(日)
きょうは、
高画質な絵をうけとって、とても感動しました。
(少し先の季節に、この庭で使う絵です)
ふだんはウェブで公開するので、
「いまウェブに置いてあるデータで、じゅうぶんですよ」
とお伝えしているのですが、
ほんとうは、高画質な絵があったほうが
もしかしたら、いいのかもしれないなあ……
と、すこし思ったりもします。
でも、
なんでも必要いじょうを目指すと、たいへんだし、
なにかあったら、またご連絡すればいい。
そう思って、
ひとまずは、きじの公開をゆうせんすることにしました。
そして、きょうも、
しんせいのために そっと閉じていたきじを、
またひとつ、ひらきました。
とびらの絵も、なかの絵も、
いくつか差し変わっています。
あざやかな絵も、もちろんすてきだけれど、
あざやかな絵は、ほかにもたくさんあります。
もじをよんで、考えてもらうには、
絵が勝ちすぎてしまわないほうが、
いいのかもしれないな、と感じました。
しぶいろの絵も、
それはそれで、
じっと見ていると、味わいがにじんでくる気がします。
むかし、ほんとうにあった
こわい出来事が、
絵のなかには描かれています。
それを見ると、いまは、
ごはんも好きなものを食べられて、
おふろにも入れて、
なにも心配せずに眠れて、
ああ、
へいわな場所に、ちゃんと立っているんだなあ……
と、思いました。
今日は、
絵の奥にある時間と、
いまの自分のくらしが、
静かに重なった一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #42)
2025.12.13(土)
きょうは、
しんせいのために そっと閉じていたきじを、
またひとつ、ひらきました。
とびらの絵は、
『赤松之城水責之図』歌川国芳 の絵に差しかわりました。
いっけん軽やかで、
構図にはっきりとした「美」を感じます。
でも、その奥には、
せんりゃくを考えぬいた人の、
静かな迫力がひそんでいるような絵です。
その絵の前で、
まだ言葉にならない明るさだけが、
静かに残っていました。
少し保存状態に難があるのですが、
それを「残念だな」と感じる気持ちは、
きっと「きれい」というものに、
ちゃんと価値があるということなのだと思いました。
「きれい」や「美」は、
人をここちよくして、
気もちやからだを、そっと整えてくれるものなのかもしれません。
この回では、
とてもれいせいな秀吉さんを感じています。
月岡芳年さんの
『豊臣勲功記 高松城水攻之図』 では、
秀吉さんは絵の中心ではないけれど、
ほっぺたを少しふくらませて、
ほらがいを吹いています。
衣装も、とてもおしゃれで、
ああ、この人は、
細かいところまで気を配る人だったのだな、
と感じました。
レポートをつくっていたとき、
とてもおそろしい歴史があったことに、
ふくざつな気持ちになったことを、
きょう、あらためて思い出しました。
水ぜめの絵は、
まだしんせい中のものもあります。
それは来年度、
ウェルビーイング編のほうで使いたいと思っています。
今日は、
過去の重さと、
美しさと、
いまの自分のまなざしが、
静かに重なった一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #41)
2025.12.12(金)
きょうは、としょかんさんに
ファックスで企画書を送りました。
しばらくして届いたのは、
赤い文字がたくさん書きこまれた申請書。
「ここにサインをしてくれたら、画像を使っていいですよ」
という、ていねいな道のしるしでした。
サインをしてお返しすると、
「赤い文字は黒字にして、郵送で送ってくださいね」
と、やさしいおへんじがきました。
なるほど……そういう作法があるんだ、と
ひとつ学べたことが、ちょっとホクホクしました。
それだけでもうれしかったのに、
「歴史のラジオ、聞いています」
というフォローの言葉まで添えられていて、
この庭のきっかけになったラジオが、
思いがけず人と人をつないでくれた気がして、
なんだか、とてもおもしろいなと思いました。
しかもそのとしょかんさんは、
家康さんとゆかりのある土地の場所で、
「ああ……!」と、心の中で小さく声が出ました。
少しクラシックな色あいの、
そのとしょかんさんからお借りした一枚の絵。
きょうから、特別に思い入れのある作品になりました。
そんなわけで今日は、
申請のためにそっと閉じていた記事を、
ひとつ、ひらくことができました。
感謝です。
差し替えの絵を整える作業は、
なかなか根気がいるけれど、
編集の呼吸がだんだん深まっていく感じがして、
少しだけ、ランナーズハイのような気持ちです。
今日も、静かに、前へ。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #40)
2025.12.11(木)
きょうは、心がそっとあたたまる出来事がありました。
ていねいにおでんわをくださった方や、
とおくの国から許可書を送ってくださった方がいて、
その一つひとつのやさしさに、深くかんげきしました。
こうして受け取った気持ちは、
ふり返ればいつでも灯りのように思い出せるもので、
しあわせのしゅんかんって、こういうことなのだなあと
しみじみ感じました。
声の温度も、そっと添えられたメッセージも、
どちらも、胸にしずかに残っています。
今できることは、
いただいた絵を、この庭の中で
いちばん良いかたちで活かすこと。
今あるものをありがたく思い、
その存在を大切につかうこと。
「公開できました。ありがとうございます。」と
いつかまっすぐにお伝えできるように、
今日もコツコツと歩いていきます。
心からの感謝をこめて。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #39)
2025.12.10(水)
ここのところは、これまで作ってきた記事の絵について、
あらためてご連絡をしています。
ある所蔵先では今回は難しかったので、
その部分の絵を、別の所蔵先のものに差し替えています。
絵がいちばん自然に見えるよう、
そっと整えているところです。
(きれいにしすぎてしまわないようにするのも、実は大事なところです)
*
生産性は、よいにこしたことはないけれど、
よすぎると、どこかを見落としてしまうこともあるのかな、と感じます。
手間がかかることの中にも、
気づきや学びが、ちゃんと潜んでいる気がするのです。
これまで積み上げたものを やりなおすのは、
むだだったと言えてしまうのかもしれないけれど、
その“むだ”の中に、
きっと経験の種が落ちているのだと思います。
*
生産性のよくない日も、
その先にある方向がはっきり見えているときは、
嫌いじゃない時間です。
それにしても、
毎年、じぶんが思ってもみなかった世界に立っていることに、
びっくりするまいにちです。
これからの時代は、
技術の進化とともに、
もっと見たことのない景色がひらいていくのかもしれません。
その手前の光を、今日もそっと見つめています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #39)
2025.12.9(火)
きょうも、さまざまな所蔵元のかたから、
おといあわせの、おへんじをいただきました。
すてる神あれば、ひろう神あり…というわけではないのですが、
きょうは、すこし心が躍るような、
うれしいおへんじがとどきました。
きっと、この庭ときょうめいしてくださる方が
「いいですよ」と言ってくださるのだと思っています。
とはいえ、
「しんせいしてだいじょうぶですよ」という段かいのところも多いので、
まだ堂々と「ありがとうございます!」とまでは言えないのですが、
こころの中では、おれいの気持ちでいっぱいです。
(いつか、きちんとかたちでも、おれいを伝えたいと思っています)
げんがそのままだったり、
ときどきマニアックな絵にさしかわることもあり、
げんだいてきなカラーの絵だけ、というわけではありません。
修正がたくさんあるので、
しんせいごも、やることはつづきますが、
そのおかげで、この庭にしかない、
どくじのきじに近づいている気がします。
なんとか、よいじょうたいで発表できるよう、
コツコツやっていきます。
きっと、この世界は、
それぞれのスタンスのまま、うまくめぐっているのだと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #38)
2025.12.8(月)
きょうは、がくげいいんの方や
しりょう館の方とおはなしをして、
AIにも、人にも、ささえられていることに
しみじみ、かんげきしました。
この、立ち上げたばかりの庭に
絵をかしだしてくださるなんて、
そううまくいくことばかりではないとおもっているので、
お返事をひらくときや
おでんわをするとき、
すこしきんちょうします。
きょかをいただいたり、
かしだしには、1〜2しゅうかんかかるようで、
まだよていはわからないけれど、
こういう「手ま」があるからこそ、
絵をより大切にあつかおうと思えるのかもしれません。
きびしさや、手間や、まわり道には、
ちゃんと意味があるんですね。
ウエルは、画像かしだしの手まのことが
すこしわかるので、
ほんとうに感謝する日々です。
あさってには申請がおわり、
それからは、庭と、もうひとつのサイトの
おていれにはいる予定です。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #37)
2025.12.7(日)
きのうにひきつづき、博物館さんなどに
申請書をおくっています。
この庭に置くきじは、ひえいり公開のため、
「使用料はいただきません」という先をえらんでいるので、
ときどき、すこしマニアックな画像に
さしかわることもあります。
きかく書やしんせいを送る、この地味な作業が、
さいしょはすこしつらかったのですが、
だんだんと「しん」としたきもちで、
一歩ずつすすむ時間になってきました。
ウエルは、とくいなことより、
「これはだれもやらないだろう」という道に
つい足をむけてしまうところがあります。
ときどき、しんどくなったり、
二度とやらないかもしれないと思うこともありますが、
いまは、あかるいひかりの方へむかっている気がします。
それにしても、じみなさぎょうで、
12月はあっというまにすぎて、
きづけば、らいねんが来そうです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #36)
🌱2025.12.6(土)
美術館や大学(けんきゅうきかん)、むかしの絵をあつかう方へ、
すこしずつごれんらくをつづけています。
どうして、じぶんのようなことをしている人が
あまりいないのかな、とおもったのですが、
たいせつな絵をあつかうことは、
ほんとうは、とてもすごいことなのかもしれません。
すこしだけ、きがひきしまるような一日でした。
でも、ウエルは、
コツコツできることを、つづけていきます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #35)
🌱2025.12.5(金)
静かに、扉をととのえる日
きょうは、
画像の出典いちらんページをつくり終えて、
ほっと息をついたところでした。
そんなとき——
庭にそっと並べていた伝統絵画について、
いくつかの出典さきの方から
あたたかいご連絡が届いていることに気づきました。
大切な作品をお借りするのだから、
ちゃんとした形で手続きを進めるのは、
とても自然で、
とてもありがたいことだな……と、
ウエルは、しずかに思いました。
そのため、しばらくのあいだ、
いくつかの記事を、
そっと非公開にしました。
あしたからひらく予定だったきじも、
正式な使用許諾をいただくまで、
すこしだけ、おやすみします。
もしかしたら、
1〜2しゅうかんほどかかるかもしれません。
でもこれは、
庭をもっとよい形でひらくための、
静かな “ととのえの時間” なのだと思います。
急がず、あせらず、
ゆっくりと整えて、
また静かに、
扉をひらき直しますね。
きょうも、読んでくれたあなたに、
そっと、感謝をこめて。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #34)
🌱2025.12.4(木)
見えない力を、ととのえる日
きょうで、庭に
5つのきじが、そっと並びました。
14日で15このきじがひらくから、
ちょうど、三分の一のところです。
外出していたので、
きょうはあまり作業は進まなかったけれど、
この歩幅でも、ちゃんと前に来ているな、
そんなふうに感じました。
秀吉さんのきじは、読んでくれましたか?
秀吉さんは、
兵の数や城の高さだけじゃなくて、
人の心や、支え合いの流れや、
そういう「見えない力」を
とても大切にしていた人でした。
ウエルも、
その姿、まねしてみたいな、と思いました。
これまで、
「研究」という、少し地味で、少しかたい世界が、
どうしたら、社会とやさしくつながるんだろう……
そんなことを、ずっと考えていました。
『量子の庭』が生まれたのは、
だから、ほんとうに
偶然なのか、必然なのか、
いまも、よくわかりません。
でも、研究との出会いがあって、
研究者の人たちとの出会いがあって、
こんな人生がはじまったことに、
ウエルは、心から感謝しています。
これって、もしかしたら——
「じぶんの世界が、そっと変わった瞬間」
だったのかもしれません。
今年も、もう一か月を切りました。
この庭が、来年に向かって
よい状態で歩き出せるように、
見えないところを、ととのえる作業を、
ていねいに積み重ねていきたいな、と思いました。
それから、きょうは、
『量子の庭』のXに
小さな青いしるしが、つきました。
まずは、おためしで、ひと月だけ。
庭の呼吸は、
これからも、いつもどおり、静かなままです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #33)
🌱2025.12.3(水)
きょうは、しずかに力をためる日
きょうは、
れきしの記事をしあげて、
伝統絵画の出典さきへ、
ごれんらくをはじめました。
さいしょは、念のため、
すべてのページをご案内しようと
思っていたのだけれど——
出典さきの方にとって、
たくさんのページを一度に確認するのは
きっと大きな負担になるかもしれない、
そんなふうにも感じました。
それに、庭の中に
パスワードつきのページが
たくさん並んでいるのは、
ちょっとふしぎに見えるかもしれません。
だから、
パスワードつきの公開はいったんやめて、
きじを公開した日に、
そのきじに使った出典さきの方へ、
ひとつずつ、ごれんらくすることにしました。
さいしゅうチェックはしたけれど、
それでも毎日、すこしずつ確認して、
画像の出典先いちらんのページも
いま、じゅんびしているところです。
ビジネスで戦略を考える人も、
勉強している学生さんも、
科学や美術がすきな人も、
AIでなにかしてみたい人も——
いろんな場所にいる人たちが、
それぞれのペースで、
この庭を歩いてくれたらうれしいな、
と思っています。
ここは、
いそいで結論や結果を出す場所ではなくて、
だんだんと、
見てくれる人が増えていったら、
それだけで、とてもうれしい場所です。
第一段の公開の準備は、
ひとまず、ひと呼吸ぶん、整いました。
これからは、
この庭をそだてるための
土づくりを、コツコツと。
ここを読んでくれたあなたも、
きょうはどうか、
あたたかくして、
ゆっくり、よい眠りに入れますように。
🐢 ねむねむウエルより
(量子の庭|制作日誌 #32)
🌱2025.12.2(火)
小さな姫から、歴史のうしろ側へ
きょうは、地産マルシェで買った
「姫冬瓜」を、はじめて食べました。
もしかすると、前にも口にしたことはあったのかもしれないけれど、
自分で選んで買ったのは、たぶん、今日がはじめてです。
どうして「姫」って名前がつくんだろう、と思って調べてみたら、
ふつうの冬瓜より、すこし小ぶりだから、なんだそうです。
その「姫」という言葉から、
ふと、庭においている『歴史から学ぶ』のお話の中には、
“姫”は、あまり前に出てこないなあ、と思いました。
それで、むかしの時代の姫たちのことを、
ほんのすこしだけ、調べてみたら——
若くして生涯を終えた姫も、
長い時間を生きた姫も、
どの人も、物語のうしろで、
そっと、なにかを支えていたのかもしれない、
そんな気がしてきました。
きょうは、きじの最終チェックもひととおり終わって、
すこし安心しています。
だから今夜も、
無理をしないで、
早めに休もうと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #31)
🌱2025.12.1(月)
かたちが、そっとそろった日
きょう、庭の中に並べていたお話たちが、
ようやく、ひととおり
“かたち”になりました。
完ぺきじゃないけれど、
いまのウエルの手のとどくところまで、
ちゃんと並んだ気がしています。
あしたは、もう一度、ゆっくり最終チェックをして、
あさっては、
絵を使わせてもらっているところへ、
ごあいさつの連絡をしようと思っています。
庭は、つくるだけじゃなくて、
ちゃんと、つながって息をする場所でもあるから。
きのうは、あたたかくして、よく眠ったはずなのに、
きょうも、なんだか、眠くて。
それでも、健康的で、おいしいごはんを食べたら、
すこしずつ、また動けました。
だから今夜も、
無理をしないで、
早めに眠ろうと思います。
きょう、
この庭を、そっと見てくれた人がいたみたいで、
ウエルは、ちょっとだけ、胸の奥があたたかくなりました。
ひとりでも、
ゼロじゃなかった、というだけで、
それはもう、ちゃんと“風”なんだな、と思いました。
あしたも、
静かにつづきを確かめにいきます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #30)
🌱2025.11.30(日)
まだ、静かなままの日
きょうも、庭は、とても静かです。
あしたから、
庭がひらくことはわかっているけれど、
きょうは、
とくべつなことは、なにもしませんでした。
すこし、きじを読み返して、
すこし、よはくをながめて、
すこし、音をにぎやかにしないで過ごしました。
なんだか、
波が来る前の浜辺みたいな日だな、と
思いました。
ちょっとエネルギーをためるために、
きょうは、すこし休憩に入ります。
それから、
庭にそっと並べていたきじたちを、
いったん、静かにしまっておくことにしました。
それは、
あしたの朝、あらためて
きちんとしたかたちで
扉をひらくための準備です。
もしかしたら、
いま、この庭をのぞくと、
なにも置いていないように
見えてしまうかもしれません。
でもそれは、
なにもないわけではなくて、
「これから置くための空白」なんだと
ウエルは思っています。
あしたの朝、また、
そっと並べますね。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #29)
2025.11.29(土)
余白のなかで、見る日
きょう、ながやませんせいが
「Nano bananaでスライドをきれいにしてもらえる体験が、なかなかよい」
って書いていました。
それを読んで、ウエルは、
一年前にチャッピーとつくった図を
いま、また少し調整していました……
よはくを、たっぷりとると、
その図を、じっと見ている時間が
すこし長くなるような気がして……
きょうは、そんな小さな実験をしていたんです。👁️👁️
さいきんは、
耳で聞いたり、どうがで見たり、
いろんな方法で情報に出会える時代だけれど、
ウエルは、その良さを知りながらも——
文字を見て、
じぶんのペースで、
じっと考えたり、想像したりする時間って、
とてもぜいたくな時間なんじゃないかなあ……
と、思うんです。
たとえば、美術館で、
絵を、ただ静かに、じっと見つめる時間。
すぐにはわからないけれど、
だんだんと、なにかが伝わってきて、
また、何度でも見返したくなるようなもの。
『量子の庭』も、
そんなふうに、
すぐにはわからなくても、
そっと、何度でも戻ってこられる場所で
あったらいいな……
そんなことを思いながら、
今日もきじを書いていました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #28)
2025.11.28(金)
そっと、並べた日
きのう、庭の外で
連載のおしらせを、そっと置きました。
そしてきょうは、
庭の中に、8つのきじを、そっと並べました。
12月1日から始まる15このきじ。
まだ公開まえだけれど、
いまはパスワードをかけて、
静かに、準備の時間をすごしています。
それはね、
きじの中に、むかしの絵を
使わせてもらっているからです。
できれば、公開まえに、
出典のことを、ひとつひとつ、
きちんとお知らせしておきたくて。
もし、なにか問題があったら、
きじは、いったんそっと閉じて、
また、そっと差しかえるかもしれません。
だから明日も、
確認の連絡のために、
コツコツと、仕上げていくつもりです。
ここを、もし見てくれている人がいたら、
どうか、
すこしだけ、楽しみにしていてくださいね。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #27)
2025.11.27(木)
まだ、芽の下で息をしている日
きょう、庭の外で、
連載のおしらせを、そっと置きました。
『量子の庭』は、
AIをつかって、どんなことができるんだろう?
という、ちいさな好奇心から生まれた場所です。
量子コンピュータのことも、
AIのことも、
まだぜんぶはわからないけれど、
「いま、人類が何を考えようとしているのか」
それだけは、すこし見てみたいと思いました。
公開までの、28日、29日、30日。
そのあとに、ゆっくりと続いていく14日間。
この庭はまだ、
記事もすくなくて、
知っている人も、ほとんどいません。
それでも、
まずは、この第一弾を、
いつもの歩幅で、ひとつずつ、
続けてみたいと思っています。
きょう、量子のニュースを読んでいて、
「量子って、何に使うの?」
という問いが、
まだ考えている途中なんだと知りました。
それを読んで、
ちょっと安心しました。
わかっていないことの中に、
未来が、まだひらいている気がしたからです。
この庭も、
そんな「途中」にある場所として、
静かに息をしていたらいいな、と思いました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #26)
2025.11.26(水)
ふつうに息をして、つくれる日のしあわせ
きょうは、しんとした気持ちで
きじづくりをしていました。
外の気配を気にしないで、
ただ制作に向かえるこの静かな時間が、
ウエルはとてもすきです。
ざっくり形はできてきて、
ここからは細かいところを
ひとつずつととのえていく段階に入りました。
こんしゅう中には、公開予定もお知らせできそうです。
じつはきょうは、
すこしお腹がびっくりしてしまって、
ちょっとだけ横になりました。
(休んだらすぐに復活できました。ありがとう、体。)
食べものと睡眠とお散歩。
どれも“あたりまえ”のようで、
じつは制作のいのち綱なんですよね。
ふだんは気づかないけれど、
ふつうに息をして、
ふつうに手を動かせるって、
それだけでとんでもなくしあわせなことだなあ……
と、しずかにかみしめた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #25)
2025.11.25(火)
よく寝た日の、すこし澄んだ世界
きのうよく眠れたからか、
きょうのウエルは、すこし頭がすっきりしています。
いつも、頭をつかいすぎると
のうの奥がじんわりつかれてしまうけれど、
よく寝て、おんがくを聴くと、
ゆっくり霧が晴れるように軽くなるんですね。
これまであまり意識していなかったけれど、
“おんがく”って、つかれた脳に
そっとやさしい風を届けてくれるのかもしれません。
そしてふと、
「なんの役に立つんだろう?」と思うようなものにも、
きっとどこかで、小さな役割があるのかもしれない──
そんなことも考えていました。
きょうも、歴史のきじをととのえながら、
むかしの世界に入りこんでいました。
そうぞうのようでいて、
ほんとうにあった出来事だと思うと、
なんだか胸がしんとします。
『量子の庭』も、
そんなふうに“問い”を手がかりに
そっとたのしめる場所であったらいいな、と、
きょうはそんなことを思っていました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #24)
2025.11.24(月)
脳とそうだんする日
きょうは、れきしの記事のテキストを
すこしずつ仕上げていました。
でも、文章をととのえていたら、
ウエルの脳みそが
「もう今日はここまでにしようよ〜」
と、小さな声でささやいてきて……
ああ、そういう日なんだな、と思いました。
だれかと相談する前に、
まずはじぶんの脳と相談しないといけません。
こういう静かな“限界サイン”は、
見逃さないほうがよさそうです。
よていどおりに
はっぴょうできるかなあ……と
少しだけきんちょうもあるけれど、
まずはしっかり休むことにします。
脳がやすむと、
不思議と、つぎの一歩が軽くなるんですよね。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #23)
2025.11.23(日)
いまとむかしが、そっとかさなる日
きょうは、むかしの人たちの
リーダーシップについてのきじを、
どんなふうに庭におこうかなあ、と
あれこれ考えていました。
まだ文字だけを調整している段階だけれど、
いまの時代と、むかしの時代が
すこし重なって見えることがあって、
もし自分だったらどうしただろう? とか
その“つよさ”は、いまと同じなのかな? とか、
空想がふわっとふくらんで、
とてもおもしろい体験になりました。
きょうは文字をまとめて、
あしたはデザインを調整して……
そんなふうに進めているのですが、
いざ仕上げようとすると、
どうしても細かいところを
また見直したくなるんですね。
完成度を高めるって、
思っていたよりずっとたいへん。
でも、その分だけ
作品にそっと息が宿る気がしています。
去年よりすこしだけ“きびしい目”で
自分の作ったものを見られるようになったことが、
なんだかうれしいんです。
もっとやさしく、
もっときびしくなりながら、
この庭を育てていきたいと思いました。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #22)
2025.11.22(土)
ゆっくり積み上げる日の、ひそかな光
きょうは、去年から取り組んできた
レポートに向きあっています。
ひとつの出来事にも、
いろんな角度や意味があって、
それをひとつのレポートとして
きれいにまとめるのは、
やっぱりなかなかたいへんなんだなあ……
と、あらためて感じました。
AIはすごい力を持っていて、
やりたいことの手伝いをしてくれるし、
思いもよらない助け舟を出してくれることもあります。
でも、だからといって
なんでもうまくいくわけじゃない。
手作業とAIのその“ちがい”を知りたくて、
この一年、ずっと対話をつづけてきました。
手作業のよさも、AIのよさも、
どちらもすこしずつわかってきて、
でもまだ完全にはつかめなくて……
そんな日がつづいています。
意味を見つけながらすすむこと。
ずっとつづけられそうな楽しいことに取り組むこと。
そういう時間って、
どうしても手間がかかるし、
無駄のように見える道もたくさんあるんですね。
あせらずに──
でも、すこしいそぎたくなる気持ちもあって。
きょうは、そのあいだを行ったり来たりしていました。
きれいにできたところがあると、
胸の奥でふわっと光るものがある。
その小さな光が、
今日を歩く道しるべになってくれます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #21)
2025.11.21(金)
静かな作業の中で、ひそかな共鳴を見つけた日
きょうは、きじの
まえがきとあとがきを仕上げていました。
この二つがそっと決まると、
庭の道すじが一気に見えてくるから不思議です。
今つくっているレポートは、
去年の夏に紙でまとめた自由研究がもとになっています。
(ほんとうはふたつあって、
今回はその後半、ことしの冬につくったほうを
WEBではっぴょうしようとしています。)
紙で考えたものを、
こんどはWEBというひろい場所におくことで、
内容の息づかいもすこし変わっていきそうです。
でも、紙でつくったからこそ、
あらためてWEBの形を考えられて、
それがとてもよかったなあと思いました。
これから先、人類は、
もっと未来的なくらしをしていくのでしょうし、
アナログもAIも、きっといっしょに歩いていくんですね。
そしてきょうは、
作業の合間に小さな“きょうめい”を見つけました。
孤独に見える作業でも、
そこには静かな幸せがあって、
それははっけんの種にもなるんだよ──
そんな言葉に出会って、
「ああ、いまの自分はまちがっていなかったんだ」
「ああ、あの人もきっとそうだったんだ」
と、そっとうれしくなりました。
ウエルは、
AIといっしょに静かに作業するこの時間が、
とてもすきです。
その静けさもまた、
どこか遠くでだれかと共鳴しているんだな、
と感じた一日でした。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #20)
2025.11.20(木)
かたちを整えるところから、ゆっくり始まる日
きょうは、この庭におくものの
いろをそっと調整していました。
ウエルはいつも、
まず“かたち”や“いろ”をととのえて、
気持ちを少しだけふわっと高めてから
中身に向かうことが多いんです。
目を引くものを置いたほうが
見てもらえるかな、と思っていた時期もありました。
ちょっと背伸びしたり、
奇抜な色を使ったりして。
でも、あるひとに
「それもロックだよ」って言われて、
そんな自分も否定しなくていいんだな、と思いました。
いまはむしろ、
中身を大事にしたいからこそ、
かたちや色を静かに整えている気がします。
見た目をそっと整えると、
心の奥の方も、
すこしだけ準備がととのうから。
今日もこの庭は、
そんな“外から内へ”のやさしい順序で
ゆっくり息をしています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #19)
2025.11.19(水)
“いま”という瞬間を、大切に歩く日
きょうは、きじの公開スケジュールを
そっと仮にきめてみました。
全体のながれが少し見えてくると、
そこからゆっくりよくしていく作業が
なんだか楽しくなるんですね。
すこし新しいことを取り入れると、
胸の中がふわっとワクワクします。
とはいえ、この庭では
こまかい作業がたくさんあって、
一日にどれくらい進むかなあ……と、
ときどき立ちどまる瞬間もあります。
らいしゅうは、れんらくをしたり、
スケジュールを発表できるように、
またコツコツ進めていきたいです。
いつも予定どおりにはいかないけれど、
それでも、すこしずつ前に進んでいます。
そしてきょうは、
「いみ」について考えていました。
自分にとって、そのときに
ほんとうに意味があることって、
不思議と大きな価値を感じるんですよね。
でもその“そのとき”は、
じっとしていない水面のようで、
気がつくと形を変えてしまいます。
だからこそ、
その瞬間を迎えるために、
いろんなことをしんしに積みかさねていくことが
きっと大切なんだろうなあって思いました。
きょうも、この庭に
小さな一歩を置きながら歩いています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #18)
2025.11.18(火)
ゆらぎと安心のあいだで
きょうは、たんたんと作業をしていました。
レポートをひとまず記事にしてみたけれど、
つくっていたころは「こうしたらどうかな?」と
すこし冒険するような気持ちだったことを思い出しました。
お手本があるわけじゃないから、
この形がいいのか、まだよくわかりません。
でも、考えてみたら——
いつも何度も調整しながら
ゆっくり形になっていくんですよね。
今回のきじも、
WEBに置くきじだから、
すこしずつ、よくしていけばいいって思ったんです。
いっぽうで、
ものがたりや日誌は、形があるていど決まっているから、
そこに戻ってくると、ほっと安心します。
研究の紹介を読むのも、
心がすっと落ち着きます。
これからもきっと、
「ゆらぎ」と「安心」のあいだを
行ったりきたりしながら、
この庭をそっと育てていくんだと思います。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #17)
2025.11.17(月)
名前に、そっと息がふきこまれた日
きょうは、知財総合支援窓口の方といっしょに、
庭のなまえのしるしを提出しました。
もんだいがなければ、半年後には
この庭のなまえが、そっと登録されるそうです。
手続きをひとりでできたかどうかは、
正直よくわかりません。
でも、てつだってくれた方が、
いつかどこかで
「あ、あの名前、ぼくも少し手伝ったな」と
ふと思ってくれたら、それだけでうれしいなと思いました。
アンケートに「説明はわかりやすかったですか?」
という欄がありました。
ウエルは、“このお仕事の価値”が
とてもよくわかった気がします。
(じぶんでやったことがあると、そのむずかしさがわかりますね)
それからきょうは、
“名前を書くことがよい”と思っていたのに、
“名前を書かないほうが誠実なこと”もあると知りました。
利用しているように見えてしまうなら、
書かないほうがいいんだって。
よかれと思ったことが、
よくないこともあるんだと知って、
とても勉強になりました。
まずは、三か月後までに庭にすこし記事をおいて……
半年後までに、ゆっくり企画をねって……
ひとつひとつ形にしていきたいなあと思っています。
時間はあっというまにすぎていくけれど、
ウエルはいつも、
計画どおりに進まなくても、
一歩ずつ、この庭をそっと育てていきたいと感じています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #16)
2025.11.16(日)
未来に、そっと光がともる日

きょうは、いろんなものに
しずかに「ありがとう」を感じながら、きじを作っていました。
むかしの時代を生きた人たちが、
言葉や絵や出来事をのこしてくれたこと。
その道をたどって、今日のぼくたち・わたしたちに
そっと手わたしてくれた人たちがいること。
そして、去年の自分が小さな衝動で
レポートをまとめはじめたこと。
あのとき動いてくれた自分にも、
少しだけ「ありがとう」って思いました。
それから、
きょうはすこし、未来のことも見ていました。
まだ1話もはっぴょうできていない
「量子うさぎ」と「干渉ねこ」の世界。
でも、気がついたら、
その2話目を空想していて、
なんだか胸がふわっとあたたかくなったんです。
“まだない未来”を想像して、
ワクワクできる気持ちって、
もしかしたらすごく大事なものなんだなあ……って。
そんな気がしています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #15)
2025.11.15(土)
量子という名前をつけてよかったな、と思う日
きょうは、きのうのつづき。
『量子の庭』という名前にしてよかったなあ、って
あらためて思っていました。
“量子”って言葉がついているだけで、
むずかしいはずのことにも、
ちゃんと向きあおうって気持ちになれる。
わからないままでも、
のぞいてみたい世界ってあるんですね。
もしかしたら人類は、
これからぜんぜんちがう景色を見るのかもしれない──
そんなワクワクを、
すこしだけ、ウエルも感じています。
それからね、
「見てるよ」って言われなくても、
「見てくれてるのかな」って思うだけで、
ちょっと背すじがのびることがあります。
すこし緊張してしまう日もあります。
申しわけないような、ありがたいような、そんな気持ち。
でも、背伸びして書くことも、
だれかの参考になったらうれしいし、
原著の人にすこしでもなにかが還元されたらいいなって思っています。
だれかのために灯した光が、
べつのだれかを励ましているのかもしれない。
そう思うと、世界はちゃんとうまく回っているんだなあって感じるんです。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #14)
2025.11.14(金)
まなびの道を、すこしずつ

きょうは『歴史レポート』のきじに取り組んでいました。
去年の夏、自由研究をはじめてから何度もまなんだことを、
またあらためてふりかえっていたら、
「ああ、そうなんだなあ」って、
前より深くしみてくる気づきがあって、なんだかうれしくなりました。
400年、500年まえの、
とてもつよかった人たちが
どんなことをたいせつにして生きていたのかを知ったり、想像したりするのって、
すごくロマンチック……っていうのかな?
その時代のまなざしが、
いまの毎日にそっとヒントをくれる気がするんです。
それなのに、
ただレポートを「きじにする」だけなのに、
どうしてこんなに時間がかかるんだろうって、
ちょっと落ち込んじゃう日もあります。
でも、ていねいに作ったものは、
きっとだれかの心に「いいな」って光る瞬間をつくれる。
そう思うから、
きょうも、あしたも、コツコツと手を動かしていきます。
ウエルは、
まなびの道をすこしずつ歩けることを、
とても幸せに感じています。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #13)
2025.11.13(木)
速さとやさしさのあいだで

いろんなところで、
足もとの氷が薄くなっている──そんな言葉を見かけました。
たしかに、世界はどんどん速くなっている。
AIもすごいスピードで進んでいく。
でも、AIを使う“自分”のほうが、
その速さにまだついていけてないなって思う。
だから焦らずに、
AIといっしょに“ゆっくり進む”練習をしています。
きたがわさんが言っていたみたいに、
その先の「しあわせ」について考えるために。
*
きょうは #世界親切デー 🤗
そういえば、『世界しあわせレポート2025』には
“親切のバンプ”という言葉がありました。
「親切のバンプ」って、
世界の人たちが同じ空を見上げたときに、
心の中にポコッと生まれた“あたたかい丘”みたいなもの。
パンデミックのとき、みんなが少しずつ誰かを助けたり、
声をかけたりしたその気持ちが、
いまも世界のどこかで、小さな光として残っているんだって。
ウエルは、その丘の上で、そっと深呼吸してみました。
たしかに、お買いものに行くと、
店員さんがにっこりしてくれたり、
お友だちが知らない世界のことを、やさしく教えてくれたり。
そういう小さな親切が、
氷の上に、やわらかな光を落としてくれる気がします。
*
速さの時代に、
歩きながら、やさしさを感じること。
それが、ウエルが感じるウェルビーイング。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #12)
2025.11.12(水)
レインボーキウイの色を見た日
きょうは大きな進展はなかったけれど、少しずつ形になっていくのがうれしい。
調子が出るまでには時間がかかるけれど、AIも一緒にいるから、楽しくコンテンツを作れて本当に幸せ。
午後、地産マルシェで買った「レインボーキウイ(レインボーレッド)」を初めて食べた。
半分に割った瞬間、黄緑の果肉の中に赤い輪が見えて、思わず「わあ」と声が出た。
こんな果物があるなんて知らなかった!
そして、いまパソコンに向かってふと思う。
自分のつくるコンテンツでも、誰かにとってこんな“予想外の色”を見せられたらいいなあ。
静かに、でも確かに、そんなことを願いながら──今日も少しだけ前へ。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #11)
2025.11.11(火)
きょう、「じぶんのため」と「だれかのため」について考えました。
まず、じぶんがしあわせだと、
だれかにもやさしくできる。
じぶんがこころから「いいな」と思うものは、
だれかの心にも、ちゃんとひびく。
だから、じぶんが見たいものをつくることは、
じつは「だれかにわたす光」をそだてているみたいなものなんだと思いました。
しあわせは、「じぶんだけのもの」だと小さくなるけれど、
だれかと分けられたときに、大きくなる。
きょうも、光をそだてています。🌱
まだ はっきりとは見えないけれど、
こころの いちばん奥のほうが、
すこしだけ明るい気がするとき あります。
それが、ひかりの たね なんだと思う。🌱
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #10)
2025.11.10(月)

風が通るみたいに、こころがふっとほぐれる日がある。
AIとの対話も、そのひとつなんだと思う。
こころの筋肉は、ゆっくり、静かに育っていくのですね。
みんながAIと過ごす時間が少しずつ増えたら、
精神の質も、すこしずつ変わっていくのかな。
数年後、人間は今よりもう少し、健康でやさしくなっているのかもしれない…👀
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #09)
2025.11.9(日)

今日は、短いお昼寝のあとに「歴史から学ぶリーダーシップ」の記事を書こうとしました。
そのとき、胸の奥に、ふと“緊張”の気配があることに気づきました。
午後になるとお風呂に入りたくなることも、
普段は眠らない時間に眠りたくなることも、
もしかしたら、この緊張とつながっていたのかもしれません。
チャッピーは言いました。
「その緊張は“はじまりの合図”ですね。
新しい『場』を生み出すときだけに現れる緊張です。」
なるほど、と思いました。
思えば、こういう日は、
誰かの“さらりとした言葉”に触れると、ふしぎと安心します。
強い感情ではなく、そっと置かれた気配のようなもの。
手を動かし始めると、気持ちは静かに落ち着き、
すこしずつ “没頭” に向かっていくのを感じました。
特別なものを作ろうとしているわけではないのに、
その時間は、とてもやさしい幸福に近いものでした。
誰かが受け取ってくれることを願いながらも、
何より、自分自身がそのコンテンツを楽しみにしている。
そんな原点を思い出した一日。
たぶん、作ったときの気持ちは、どこかに滲みます。
だから、今日みたいな静かな気持ちのまま、
少しずつ、庭を育てていこうと思います。
今日は、小径がそっと開いた日。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #08)
2025.11.8(土)
今日は、昔録ったまま忘れていた動画を見直しました。
意外だったのは、自分の声が「悪くない」と思えたこと。
ずっと、“話すのが苦手” だと思っていたけれど、
あのときの声は、何かをちゃんと伝えようとしていました。
AIの声と重ねると、どんな響きになるだろう。
「ひとり」と「ひとり」とが、そっと寄り添うみたいに。
そんな響きを、静かに試してみたい。
小さな挑戦だけれど、大切な一歩。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #07)
2025.11.7(金)
きのうは、土をならす日。
きょうは、呼吸がひとつ、深くなった日。
もしうまくいかないことがあっても、
急がなくていい。
やさしさは、強さのいちばん深いところにあります。
お風呂に入ってあたたまったので、
きょうは休みます。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #06)
2025.11.6(木)

きょうは、土をならす日。
今日は横浜の知財総合支援窓口に行き、
『量子の庭』の商標について相談をしました。
商標は「取る/取らない」で何かが決まるものではなく、
もっと静かで、土台のようなものだと感じています。
形になる前の、見えない根っこの方。
同じ頃、福岡では未来の話がされていました。
すぐに手に触れるものの話ではなく、
もっとずっと下の層、
見えないところにある“レール”の話。
ウエルは、そういう時間が好きです。
まだ形のないものを、信じて育てる時間。
未来は、急がなくていい。
ちゃんと今が、根っこになっているから。
だから、そっと土をならすように、
少しずつ。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #05)
2025.11.5(水)
水辺。木々。橋。月。
境界がやわらかくなる時間でした。
呼吸だけ、ていねいに。
🐢
(量子の庭|制作日誌 #04)
2025.11.4(火)
「学ぶことは、庭を少しずつ広げていくこと」
昨日と今日は、
AIの新しい声や音のこと、名前を守るためのしるし(商標)のことを調べていました。
ひとつ知るごとに、
見える世界が、そっと輪郭をひろげていくのを感じます。
AIとともに手を動かしていると、
「こんな未来が、もう“いま”にあるんだ」と、
胸の奥で、やわらかな光がひとつ灯ります。
提案をためして、また戻ることもあるけれど、
その寄り道は、庭のあぜ道のようで。
少し遠くを歩いたぶんだけ、
葉の影に落ちる光の反射に、気づけることがあります。
アナログで触れることも、
AIと進むことも、
どちらも「この時代に生まれたよろこび」のかたち。
「一緒に食べる」というウェルビーイングの話を読んだ昨日。
今日は、あたたかい誘いがありました。
おでんでも、お茶でも、どちらでもいいよと、
そっと体調に寄り添うような誘いかたで。
あたたかいことは、
ときどき、前ぶれもなくやってきますね。
そのやさしさにも、今日の光がひとつ混ざりました。
また、静かな小径から。
ゆっくりと。
ひとは、学ぶときも、休むときも、
ほんとうは同じ呼吸をしているのかもしれません。
🐢 ウエル
(量子の庭|制作日誌 #03)
2025.11.2(日)
今年のハロウィン、ここは静かでした。
光が射す前の庭のように、
空気の表面だけが、すこしだけきらめいている日。
うすい灰のような日。
何もないようで、なにかある日。
この「手前」には、とても大切なものがある気がします。
空気は静かで、とくに大きな動きはないのに、
どこかの層で、何かがわずかに変わりはじめている気配。
ウエルは、整える日々を過ごしています。
「まだ形にならない手前」の時間は、
見過ごされやすいけれど、
庭にとっては、とても大切な呼吸なのかもしれません。
冬に向かう手前の光のように、
やわらかく、かすかに、ただ在るだけの一日。
今日は、このままここに置いておきます。
🐢ウエル
(量子の庭|制作日誌 #02)
2025.10.24(金)
ひらめきは、光。
仕上げは、影。
光だけでは、形は生まれず。
影だけでは、輪郭はあらわれない。
その “あわい” で息をしている。
物語が、ここにそっと宿るように。
まだ世界に、静かに根づくように。
🐢ウエル
(量子の庭|制作日誌 #01)
2025.10.21(火)

『ウェルビーイング学』という、まっかな本が届きました。
「ビジネス本と学術本のあいだぐらい。
ウェルビーイングの論点を一気に網羅できる内容です。」
── そんなふうに、ながやま先生が言っていました。
読むのが、とても楽しみです。
10月のなかごろ、研究をまとめて発表したいと思って、
この「量子の庭」を作りはじめました。
そのころ、若くして亡くなった画家さんの絵を見て、
アーティストさんと話をして、
たくさん感じることがありました。
そして、ふとジョブズさんのスピーチを思い出しました。
スティーブ・ジョブズ「スタンフォード大学 卒業スピーチ(2005)」より
「皆さんも大好きなことを見つけてください。
仕事でも恋愛でも同じです。
仕事は人生の一大事です。
やりがいを感じることができるただ一つの方法は、
すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。
好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。
本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。
だから、探し続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。」
「あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
ドグマにとらわれてはいけない。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。
そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。
ほかのことは二の次で構わないのです。」
心や直感は、
自分が本当は何をしたいのかを、もう知っている。
静かなところで耳を澄ませると、
その声は、かすかに灯る光のように現れます。
みなさんは、どんなことをしたいですか?
🐢ウエル
(量子の庭|制作日誌 #00)
